「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り 【長文注意】 Cinema Kingdom Blog

「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り 【長文注意】 Cinema Kingdom Blog

映画、国内&海外ソフト、ホームシアター機器、旅行、写真、アニメ「あの花」を肴に綴る徒然雑記

2017 07123456789101112131415161718192021222324252627282930312017 09
HOME > スポンサー広告 > 「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り 【長文注意】HOME > 王国伝言板ログ > 「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り 【長文注意】

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り 【長文注意】

2007年2月 BBS閉鎖に伴い転載

「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その一)
思いっきりネタバレしています。ご注意を
 2001/12/10 10:27 
※オリジナル投稿は2001年夏で、以下の長文は
 2001年末に再編集して、転載したものです※


先週の土曜に先行公開された「A.I.」を観て来ました。
なんでも「SW EP1」の先行時の記録を抜いて歴代一位の
興行記録だったそうですが、スクリーン数が300近くもあって
こちらも史上最高なので、一位も当然の結果ではあります。

さて、出来の方ですが、完成度の高さでは
スピルバーグの作品の中でも屈指なんじゃないでしょうか。
ちょっと生真面目すぎるんじゃないの?と思うほど
隙が無い感じでした。
どのくらいキューブリックの影響があったのかは分かりませんが、
確かにそんな点でキューブリックの匂いは残っていました。

また「E.T.」ほどあからさま(狙った)な「泣かせ」はなく、
「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」での
プロローグやエピローグのような蛇足もありませんでした。
子供、子供と云われ続けて来たスピルバーグの
確かな成熟を感じさせる、間違いなく映画史に残る作品です。
ただ、スピルバーグ作品独特の高揚感がイマイチ薄いような
感じも同時にしました。



> leeさんの投稿から抜粋

「AI」をみてきました。
ちょっと疑問に思ったところがいくつかあったので、もう
少し時間がたってから話したいと思います。
ネタバレしない程度に感想を少しいうとですね、
ジュード・ロウの描写が少しアッサリしていたのでもっと
カラミを増やして欲しかったなあと思いました。
ひとつ気になったのは、あの映画はもともともっと長尺だったん
でしょうか?編集が気になりました。
それにしてもジュード・ロウは男前ですね。男からみても。
女性客なんか、アレを欲しいと思った人いっぱいいるんじゃ
ないでしょうか。僕は欲しくないですけど。
アメリカだし、多分ジゴロ・ジョーは男性客も相手にするんだろう
なあなどと考えるとちょっとゲンナリしました。



>leeさん

> 「AI」をみてきました。
> ちょっと疑問に思ったところがいくつかあったので、もう
> 少し時間がたってから話したいと思います。
> ネタバレしない程度に感想を少しいうとですね、
> ジュード・ロウの描写が少しアッサリしていたのでもっと
> カラミを増やして欲しかったなあと思いました。
> ひとつ気になったのは、あの映画はもともともっと長尺だったん
> でしょうか?編集が気になりました。

あの映画は言わばオムニバス映画のような構成で、
第一部、第二部、第三部、第四部、と分ける事が出来ると思います。
「もともとは長尺だったのか」と思わせるのは、
そんな構成のせいではないかと思うのですが、如何なんでしょう?

もっとも未読ですが原作は短編のようで、
あのジュード・ロウが演じたジゴロ・ジョーも
映画用に登場させたキャラだということです。


この作品、大ヒット間違いなしの話題作には付き物の
「面白くない」というアンチA.I.派があちこちの映画BBSで
見掛けられるとのことです。
他人がどう感じようが、そんなこたあ、どうでもいいんで、
僕自身は先日も書いたように、スピルバーグの作品としては
極めて完成度の高い作品だと思いました。

宣伝は「スピルバーグ最新作」ということを全面に出していたので
「E.T.」(これ、僕はあまり好きな映画じゃない)
のようなお涙頂戴のお子様向け映画や、
「インディー・ジョーンズ」シリーズのようなあからさまな娯楽性
を期待していた向きには評判が悪いのかもしれません。

でも、巨匠となってからの彼の作品には
要らないシークエンスや、辻褄の合わない展開、
内容の薄い素材を、殊更盛大に盛り込む悪い癖がありましたが、
この作品にはそんな印象があまり感じられませんでした。
初期の傑作、『激突!』、『ジョーズ』などの無駄の無さが
この寓話にはより洗練された形で現われていたように感じます。


それから、
「感情移入」は作品の評価を左右する大きな要素です。

新世代のA.I.を搭載した初の少年型ロボットであるデイヴィッドは
キーワードをインプットした人間に対する永遠の愛情を抱く訳です。
これを単なる「プログラミング」された行動と捕らえるか、
もっと自発的で人間的感情に近いものとしての「愛」と捕らえるかで、
この作品の印象は大きく変ってしまいます。

劇中に旧タイプのロボットであるジゴロ・ジョーは、
「人間は、他の人間や犬や猫を愛するようにはロボットを愛せない」
とデイヴィッドを諭します。
外見は人間にソックリでも結局はロボットは人間の道具に過ぎない、
という訳です。
このあたりをどう捉えるかで、この作品に対する感情移入の度合いや
その結果としての感想は、大きく異なってしまうでしょうね。

それに付随して、ハーレイ・ジョエル・オスメントに対する印象
も大きいですよね。
いつも半泣き演技のこまっしゃくれたガキと感じるか、
数十年に一度の天才子役、立派な俳優と捕らえるかでね。

正直言うと、僕はこの映画で一滴の涙も流していません。
まあ、再見したらもっとドラマに入り込めるかもしれませんから
次はわかりませんが。(笑)


「A.I.」の記事はちょっとネタバレぎみかも

未見の方は、ご注意下さい。


「A.I.」ラストで
デイヴィッドが流す涙の意味

それまでさんざん苦難の旅を続けて来たデイヴィッドですが、
彼が泣くシーンはあれが最初で最後です。
そして、その後ナレーションで、
「デイヴィッドはその夜、初めて夢を見た」と語られます。
デイヴィッドに夢を見る機能があることは冒頭で
開発者の博士の口から語られますが、
では、デイヴィッドには感激して泣く機能もあったのでしょうか?
このあたりを深読みするといろいろな解釈が出来、面白そうです。


> leeさんの投稿から抜粋

涙をながしていたかどうかは知りませんけど、ハーレイ君が
母親にすがって泣き喚くシーンがありませんでしたか?
僕はラストよりはあの場面の方がグッときたんですけど。

感情移入は大事ですね。
僕はロボットの愛をどうとらえるかといわれれば、どうとらえて
いいか分かりませんでした。
SF映画としての疑問点が解決できなかったせいもあるんですが、
あのジゴロ・ジョー、僕には彼が旧世代ロボットにはみえなかった
んですよね。彼の行動をみていると。
あの映画ではハーレイ君を特別視していたので、他のロボットたちが
みんなひとくくりにされてましたけど、僕にはあのテディベアや
ジゴロ・ジョーが普通のロボットには見えなかったです。
愛を強調するのもいいんだけれど、僕としてはロボット同士
(「ロボット同士」ってとこが大事)の愛や、特に友情について
もっと見たかったです。
ジョーとディビッドの関係は友情ではないんでしょうか?

ロボットがどんどん人間に近づいていくという話はSF映画で
よくみられますが、この作品を見て思い出したのが手塚治虫の
「火の鳥 復活編」です。
交通事故で体の大半(脳の一部までも)を機械化された男が
人間不信に陥りロボットに恋をしてしまう話で、
彼は最終的には完全な機械になってしまうのです。
設定こそ違えど話の流れ方としては「A.I.」に実に似ていて、
それこそ数千年にわたる壮大な話です。
人間とロボットの恋、そしてロボットが命令ではなく自身の意思で
行う殺人、そして集団自殺とまあSF的なテーマを持った話で、
「火の鳥」では一番好きな話です。
ロビタと名づけられたこのロボットは、その後「未来編」で
地球の最後をみとるのですが、仲間のロボットがやられていくのを
じっと見つめるその姿が実に印象的でした。


>leeさん

> >AI
> 涙をながしていたかどうかは知りませんけど、ハーレイ君が
> 母親にすがって泣き喚くシーンがありませんでしたか?
> 僕はラストよりはあの場面の方がグッときたんですけど。

そうそう、あそこは印象的なんですが、
僕には涙を流していたような記憶がないんですよね。
流していたら、僕の深読みは的外れということになります。


> 感情移入は大事ですね。
> 僕はロボットの愛をどうとらえるかといわれれば、どうとらえて
> いいか分かりませんでした。

スピルバーグ自身は手塚治虫の作品を見たことが無いそうです。
日本では手塚さんを始め、人間になりたいロボット、
感情を持つロボットの話は、漫画やTV番組で昔からお馴染みのテーマ
なので、この映画にもすんなり入り込みやすいと思うのですが、
一般的なアメリカ人にはそうではないのかもしれません。

という一方で、実は僕もleeさんも感情移入という意味では
ある種のとまどいがあったのではないでしょうか?

「永遠に特定の人を愛することをインプットされたロボット」
という設定は「そんなモノになんの価値があるのか?」という
疑問は残るものの、まあ、なんとなく理解できるとしても、
それをキーワード入力する場面まではっきり見せられると、
「やはりデイヴィッドは精密ではあるが人工物に過ぎない」という
暗示を無意識下に感じてしまうと思うんですよね。

第一部から第二部にかけては、
観客がデイヴィッドに感情移入し始めた頃を見計らったように、
「デイヴィッドはロボットに過ぎない」と思い出させるような
事件や描写が挿み込まれています。
ですから、その後テディと旅に出てからも
その部分が澱のように沈殿したままで、どうもすんなりと観客が
デイヴィッドに感情移入するのを妨げていた感じもします。

また、すんなりとデイヴィッドに感情移入した観客は観客で、
「あの母親は、なんであんなに一途な愛情を示すデイヴィッドを
 簡単に捨てられるのか?」という疑問を持つかもしれません。
そうなると「あの母親は永遠の愛情を注ぐに価する人間なのか?
単なるビッチじゃん」という、物語の根幹を成す母親に対して
反感を持つ結果になりかねません。
まあ、あの母親はもともと息子のことで精神的に不安定だった訳で、
その延長として考えれば、あの選択にも納得するんですが、
そんなことを見ている途中で考えている観客は少ないでしょうからね。

しかし、デイヴィッドが愛するのは両親でも父親でもなく、
母親ひとりっていうのは、いかにもスピルバーグ的で笑いました。


> SF映画としての疑問点が解決できなかったせいもあるんですが、
> あのジゴロ・ジョー、僕には彼が旧世代ロボットにはみえなかった
> んですよね。彼の行動をみていると。
> あの映画ではハーレイ君を特別視していたので、他のロボットたちが
> みんなひとくくりにされてましたけど、僕にはあのテディベアや
> ジゴロ・ジョーが普通のロボットには見えなかったです。

デイヴィッドもあの両親のもとに来たばかりの頃は
いかにも学習の進んでいないロボットという感じで、
旧タイプのジゴロ・ジョーと同じような印象でした。
テディは幼児用玩具として始めから主人に忠実であるように作られ、
なにか主人に危険が迫った時にはそれを忠告したり、
簡単なマナーや常識を教える教育用の機能もあるのでしょう。
それにあの熊はお古ですから、もうかなりの経験を積んでいて、
デイヴィッドに的確な助言が出来るくらいに世慣れていたんでしょう。

この作品に登場するその他のロボットは、
いかにも旧タイプの「記号としてのロボット」という姿をしています。
このことから、ジゴロ・ジョーは感情を持っていない世代ではあるが、
旧世代のA.I.を搭載したロボットとしては、最新鋭のものだという事が
分かります。


> 愛を強調するのもいいんだけれど、僕としてはロボット同士
> (「ロボット同士」ってとこが大事)の愛や、特に友情について
> もっと見たかったです。
> ジョーとディビッドの関係は友情ではないんでしょうか?

ジョーの最後の言葉などからすると、
ジョーは学習効果で、デイヴィッドの機能、思考パターンを
多少は理解していたように思えます。
また、ジョーは本来、子守りロボットなどではなく、
ただのセックス奉仕ロボットであるにも関わらず、
まるでデイヴィッドの保護者か友人のような行動を取ります。
このあたりはイマイチ謎ですが、確かにあのロボット同士には
友情に似た何かがあったように感じますね。
というか、少なくとも、感情(に似た機能)を本来有している
デイヴィッドには、ジョーやテディに対する「友情」が
あったんでしょう。


僕は第四部に登場する「アレ」が、デイヴィッドの機能を
より高度に進化させて復活させたんじゃないかと考えています。
あの復活を経て、デイヴィッドは完全な人間的思考を持つに至った
と考えると、それでデイヴィッドの涙も説明が付きます。
つまり、第一部から第三部におけるロボットとしてのデイヴィッドは
第四部において完全に人間的な存在に至ったのではないかと思うのです。
つまり、「本物の少年」になった訳ですね。



「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その二)
思いっきりネタバレしています。ご注意を


> やすさんの投稿から抜粋

僕も先日「A.I.」を観てきたのですが、期待しすぎたせいか
イマイチでした・・・。
大量に流れる予告CMの映像を見て、勝手にキューブリックの
「時計じかけのオレンジ」みたいな映像を想像しつつ、
色々、入ってくる情報から、だいたいの物語が読めてしまい、
ただ、単純にしか観ていなかったので「人間とは何か?」と深く、
観る事はできませんでしたが、やはり、何か物足りないというか、
あまり感情移入できませんでした。


ちょとネタバレになるのですが、最後のアレはいったい何物だったんでしょうか?
友達はロボットと言うのですが、もっと違う者だと思うのですが。



完全ネタバレ「A.I.」のラストに登場する「アレ」



僕はホームページの方で
> 先行で観賞。
> 自らが書き上げた脚本としては「未知との遭遇」以来となる
> この作品は、映像作家としての「監督スティーブン・スピルバーグ」
> の成熟を感じさせ、ひとつの頂点と呼んでいい完成度を示していた。
> 惜しむらくは、彼の作品独特の高揚感がいまひとつ薄い点か。
と「A.I.」を評しました。

ここで云う「完成度」とは、ヤヌス・カミンスキーのキャメラや
スタン・ウィンストン、ILMのVFXなどのビジュワル面、
あまり無駄の無い脚本や全体の構成、成熟し、隙の無い演出力
を指しているのですが、では、感情移入して楽しめたかと言われると
また話は別なんですよね。(汗)

物語はまさしく「ピノキオ」そのもので、
何のサプライズもありませんでした。
その点では前半を見ただけで話は見えてしまいます。
「面白くなかった」というのがどんな定義での感想なのかは
また別の問題ですが、確かに一言で云えば、
「面白くなかった」という意見にうなずく方も多いかもしれません。
「彼の作品独特の高揚感がいまひとつ薄い」ということは、
僕も感じました。

ここで云う「高揚感」とは、『ジョーズ』で初めて大鮫の全身が
画面に登場した時やその後のチェイス・シーン、または、
『E.T.』でのエリオットとETが自転車で夜空に舞い上がる場面、
『太陽の帝国』での「キャデラック・オブ・ザ・スカイ!」の台詞
で知られる爆撃シークエンスなどで感じられるもの、と云えば
分かって頂けるでしょうか。


スピルバーグの偉大さは、「映像を通して観客の感情に訴える力」が
とても強力で、抜きん出ている点だと思います。
野球で言えば、ど真ん中のストレートの豪速球って感じですか。(笑)
『プライベート・ライアン』冒頭の上陸作戦の描写しかり、
『シンドラーのリスト』の強制収容所の描写もしかりです。

しかし、これは、もともとこの作品の映画化を準備していた
キューブリックの作品の特徴とは正反対の要素です。
安直な比喩で云うなら、キューブリックは「静的で冷たく」、
スピルバーグは「動的で熱い」作風を持っています。
その点で、ふたりの共同作品とも言えるこの作品は、
その中間という感じの温度感になっていました。
当然、これを「中途半端」と解釈する方もいらっしゃるでしょう。


また、この寓話で何を語りたいのか、
いまいちテーマもはっきり見えてこない感もあります。
一見、人間がテクノロジーによって神の力を持つ事への
「警鐘」なのだろうと解釈出来ますが、
結局、スピルバーグ作品に顕著に見られる裏テーマである、
「エディプス・コンプレックス」や「マザー・コンプレックス」に
ついて語られた物語のようにも見えます。

訴えたいテーマを全体に押し出した映画ほど
つまらないものはありませんが、内容が薄いテーマの映画も
また同様です。
今更、そんなありふれた「警鐘」や、
スピルバーグ自身が持っているコンプレックスを吐露する映画
を見せられても、観客は困惑するか、閉口するしかありません。


なんだか、誉めて、さんざん持ち上げてから、
落としているような論調になってますね。(笑)
馬鹿馬鹿しくなって来ましたので、このアタリで
戯言は終わりにします。(汗)



> 最後のアレはいったい何物だったんでしょうか?
> 友達はロボットと言うのですが、もっと違う者だと思うのですが。

アレのシルエットを初めて見た時は、
「おいおい、また未知との遭遇かよ」と思いました。(笑) 
あれ、「未知との遭遇」のラストに出てくる宇宙人に
ソックリじゃないですか。(笑)
あれはいただけないデザインでしたね。

まあ、要するにあの氷河期を迎えて、
人類が絶滅した後の地球にいる「新地球人」達は、
人類が創造した人工知能が高度に自己進化したモノ
ということなのでしょう。
彼らにしてみれば、デイヴィッドは直立猿人ってとこ
なんでしょうね。

アレを「ロボット」と呼んで良いかは疑問の残るところですが、
あまりSFに詳しくない僕には何とも言えないです。
まあ、個は全体と云うか、お互いに何かのネットワークで
情報を共有している感じでしたね。
でも、そうなってもちゃんと神(人間)の姿を写した個々の身体
を持っているアタリが、いかにも西洋的で興味深かったです。



A.I.の賛歌 ネタバレ注意


時間をやりくりして「A.I.」を再見して来ました。

う~ん、
僕ってなんて近視眼的な物の捉え方しか出来ない奴
なんでしょう。
正に「木を見て、森を見ない」って感じです。
というか、あまりにもストレートに描かれているので、
返って気が付きませんでした。


今更ながらに気が付きましたが、
この映画は、人間の感情の中で最も人間的で重要な要素、
人間を人間たらしめ、文化や芸術を生み出した根源である、
「愛(AI)」を唯一のテーマにした作品じゃないですか!

まったく、恥ずかしげも無く、
よくこんなテーマを堂々と掲げられたものです。(笑)
今更「愛」の意味を真正面から問うなんて、
気恥ずかし過ぎでしょ?
だから、こんなSF的手法をとった寓話に仕立てたのですね。


この映画はテクノロジーを盲信することへの「警鐘」なんかを
唱えている作品なんかではないです。
むしろ、その逆で、
高度なテクノロジーによって作られた人工知能に
愛を理解させ、受け継がせることが出来れば、
もはや、人類が絶滅しようが大した問題ではない、
という事を説いた作品のようです。
人類の「愛の遺産」さへ未来の何者かに残せれば、
もうそれだけで、この宇宙に人類が確かに存在した証
になるということなのでしょう。


母親がやさしかろうが、ビッチだろうが、
そんなものは、子供にとっては大した問題ではないのです。
なぜなら、幼い子供は「無条件」で親を愛すからです。
どんなにひどい親だろうが、幼い子供は常に親を慕い、
無償で愛するもんです。
僕はちょっと、野村芳太郎監督の傑作、「鬼畜」を
思い出してしまいました。

そしてデイヴィッドは、なりこそ大きいですが、
実は生まれてから僅かしか経っていない赤子も同然なのです。
彼はこまっしゃくれて生意気盛りの少年などではなく、
ただの赤ん坊なんですよ。


開発者の博士の亡くなった息子とまったく同じ名前と外見を持つ
デイヴィッドは、「息子を蘇らせたい」という
博士の「親の愛」から生まれました。
そして、その資質はデイヴィッドにも色濃く受け継がれ、
彼は失ってしまった母親の愛を蘇らす為に生きるのです。
これは「遺伝」以外の何者でもありません。

そして、
鳥の雛が初めて目にした生き物を親だと認識するように、
デイヴィッドは、あのキーワードをインプットした対象を
親として愛するようにプログラムされています。
これは、人工人間だろうと、有機体だろうと、
無意識下で本能的に自覚されるプログラム、という意味では、
まったく同じです。

人間のそれとほとんど区別がつかないほど
高度な精神機能を持つ彼は、何の打算も無く、
本能的に母親に無償の愛を捧げます。
そして、彼女に捨てられた後も
ただただ、母親に対する純粋な「愛と信頼」だけを糧に
彼は夢の実現に向かって突き動かされてゆくのです。
なんとも古典的な愛の物語ですよねぇ~♪
まるで「母を訪ねて三千里」ですよ。(笑)


なんだ、始めからデイヴィッドは立派な「本当の少年」
じゃないですかぁ。
そして数千年に渡る苦難の旅も、結局は
「自分探し」と少年の成長の物語という、使い古された主題
だった訳ですね。
う~ん、「温故知新」ですなぁ~。



やはりラストの「涙」の深読みは的外れか。

見直して気が付きましたが、
デイヴィッドの記憶を元に「アレ」が再現した家
が舞台になってから、デイヴィッドは三度も涙を流していました。
しかもかなり印象的な場面ばかり。(大汗)
う~ん、記憶ってかなりいいかげんだぁ~。

でも、母親と別れるところでは涙は確認出来ませんでした。
まあ、アップが少ないので定かではないのですが....。
それと、食べ比べで故障した時に、整備員が
「チップが唾液でベトベトだ」という台詞を喋っていました。
唾液があるなら、涙も流せるかもしれませんね。(汗)




雑誌などで見掛けた「A.I.」評は、ほとんどが期待外れ
という論評でした。
でも、あの「2001年 宇宙の旅」も公開時は大コケした上、
酷評ばかりだったのです。

個人的には再見しても、この映画の完成度の高さは、
スピルバーグの作品の中でも屈指、という思いに変りはありません。
好き嫌いはともかく、実に見事な仕事ぶりですよ。



「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その三)
思いっきりネタバレしています。ご注意を

> leeさんの投稿から抜粋

火の鳥 lee

なんかの話をしたから肝心なことを忘れてましたが、
「A.I.」みててあーこれはーと思ったのは、この映画は
「火の鳥」よりも「鉄腕アトム」だったんですよ。
開発者の博士はそのまんま天馬博士なわけで、成長物語という
意味でも同様です。それはいいとして、、

僕は愛が人間的であるとか、人間を人間たらしめているものとは
思えないので、愛を強調するキリスト教的というか、西洋的な
思想にはあまり同調できません。
愛ってとても原始的で哺乳類に共通する本能だと僕は思いますから。
だからこの映画のテーマにはそれほど興味なかったです。
むしろ、愛をテーマにするのであれば、機械と機械の間にそれを
みたかったです。あるいは友情物語とか。
いやそもそも、あの映画の「愛」の描き方が疑問でした。

(以下バレ!)


だって、あの博士、おかしいですよ。
自分の子供に似せたのはいいんです。それを量産しますか?
僕がもし父親なら、自分の死んだ息子を量産販売するなどという
ことはとてもできません。異常です。

また、岩窟王さんもおっしゃっているように、母親と子供の間の
関係だけが描かれている点。そのこと自体はいいんです。
しかし、子供は夫婦二人のものであると僕は思うのですが、あの
夫はなぜ自分を父であるとインプットしないのでしょう?
もっと解せないのは、妻はなぜそれを認めているのでしょう?
自分を「ママ」と呼び、自分の夫を「ヘンリー」と呼ぶハーレイ君に
なんの疑問も感じなかったとしたら、所詮この母親はハーレイ君を
代用品としてしか扱っていなかったことになります。
また、結局この子は捨てられているわけですので、僕はこの少年ロボ
の愛は限りなく一方的なものに近いと感じたのです。

ただですね、少年ロボの母と、ロボの開発者の愛が無責任なもの
に感じるからこそ少年の愛がより純粋に見えてくるんだと思います。
だからといってそれが見終わった後に「愛ってすばらしい!」
といった感動をもたらしてはくれなかったです。
愛の素晴らしさを受け取るためには、少年の受けた仕打ちは
あまりに非道なものでしたから。

動物にだって芸術を理解する心はありますし、それは
人間特有の能力ではないと思います。
サルと人間の違いなんて遺伝子的にも知能的にも9割9分差は
ないといいます。サル以下の人間なんていっぱいいますしね。
ロボットに愛が芽生えることが「素晴らしい」と思えるのは、
あくまで人間が「最も崇高」であるとか、生物としての「頂点」に
いるというキリスト教的な考え方が前提になってはじめて思え得る
ことで、僕は人間がそれほど他の動物より素晴らしいなどとは
思いませんし、考えようによってはネコだって生物界の頂点にいる
わけですから、「ロボットに愛が理解できないわけがない」と
いう前提で映画を見ると、別にインスパイアされるような所は
なくなってしまうんです。

SF的な視点で見た場合でも、「人間の精神構造を完全に再現した
ロボットの実現が終着点」みたいなかんじでしたが、じゃあ僕は
果たして「ネコの精神構造を完全に再現したロボット」を作ることが
人間のそれよりもはるかに簡単であるといえるのだろうか、と疑問を
もってしまいますし、道端でチョコマカ動いているあの素晴らしい
ナノテクの結晶体である「アリ」を人工的に作り出すことと
「愛を」持ったロボットを作るのがどちらが簡単か、といわれたら
自身を持って答えることはできません。

てな疑問をもうちょっと考えさせてくれる作品であればもっと
素晴らしかったのに、と思いました。



岩窟王@管理人


>leeさん

> この映画は「火の鳥」よりも「鉄腕アトム」だったんですよ。

もちろん、僕も日米でTV放送された「鉄腕アトム」を想定して
「スピルバーグ自身は手塚治虫の作品を見たことがない」
と書いたんですよ。
さすがに、漫画版の「火の鳥」は読んでいないと思いますし。


> 僕は愛が人間的であるとか、人間を人間たらしめているものとは
> 思えないので、愛を強調するキリスト教的というか、西洋的な
> 思想にはあまり同調できません。
> 愛ってとても原始的で哺乳類に共通する本能だと僕は思いますから。
> だからこの映画のテーマにはそれほど興味なかったです。
> むしろ、愛をテーマにするのであれば、機械と機械の間にそれを
> みたかったです。あるいは友情物語とか。
> いやそもそも、あの映画の「愛」の描き方が疑問でした。

僕が云いたかったのは、「愛」という概念に含まれる
人間的な「精神、意識」のことです。
哺乳類にも本能的な愛情(特に母性愛)はあるでしょうが、
彼らの愛情が人間のそれと同等であるはずがありません。
人類の「愛」には本能的なものも含まれますが、
僕が指しているのは芸術や文化、果ては戦争までも生み出す
根源としての「高度な概念」を含んだ上での話です。



> だって、あの博士、おかしいですよ。
> 自分の子供に似せたのはいいんです。それを量産しますか?
> 僕がもし父親なら、自分の死んだ息子を量産販売するなどという
> ことはとてもできません。異常です。

昔から映画が描く「人工人間」の創造者はマッド・サイエンティスト
と相場が決まっています。(笑)

あの博士が自分の死んだ息子のロボットを量産していたのは、
あくまでも方便というか結果でしょう。
あんな高度なロボットを作る為には、資金的にも技術的にも
優秀なスタッフや会社首脳陣の全面的なバックアップが不可欠です。
会社だって売り出す市場やニーズが無ければ、
あんなにお金が掛かった「別に超人的な機能がある訳では無い」
子供型のロボットの開発を許可する訳がありません。
そして、もちろん開発は、量産を前提にしているはずです。



> また、岩窟王さんもおっしゃっているように、母親と子供の間の
> 関係だけが描かれている点。そのこと自体はいいんです。
> しかし、子供は夫婦二人のものであると僕は思うのですが、あの
> 夫はなぜ自分を父であるとインプットしないのでしょう?
> もっと解せないのは、妻はなぜそれを認めているのでしょう?
> 自分を「ママ」と呼び、自分の夫を「ヘンリー」と呼ぶハーレイ君に
> なんの疑問も感じなかったとしたら、所詮この母親はハーレイ君を
> 代用品としてしか扱っていなかったことになります。
> また、結局この子は捨てられているわけですので、僕はこの少年ロボ
> の愛は限りなく一方的なものに近いと感じたのです。

僕もそれは感じました。
こりゃ、また、いかにもスピルバーグ的な家庭環境だな、と。
彼の作品に登場する家庭は、母子家庭が主で、
父親の存在は常に希薄ですからね。

また、
セックス・ロボットの生産が主な大手ロボット会社に勤めている
ヘンリーにとっては、あくまでもデイヴィッドは
会社がテストの為に貸し与えたロボットに過ぎず、
自分の息子のようにはとても思えないのでしょう。

つまり、精神的に不安定で子供の身代わりが必要に思える妻には
必要でも、ヘンリー自身にとっては、あくまでも妻を助ける
ただの道具、代用品として便利なプロトタイプ・ロボット
という捉え方をしていたんだと思います。



> ただですね、少年ロボの母と、ロボの開発者の愛が無責任なもの
> に感じるからこそ少年の愛がより純粋に見えてくるんだと思います。
> だからといってそれが見終わった後に「愛ってすばらしい!」
> といった感動をもたらしてはくれなかったです。
> 愛の素晴らしさを受け取るためには、少年の受けた仕打ちは
> あまりに非道なものでしたから。

僕だってこの作品を観て、
デイヴィッドの「愛って素晴らしい」とは
別に感じませんでしたよ。
二度目も残念ながら涙は出ませんでしたしね。
ただ、スピルバーグって人は性善説で物事を捉える人ですし、
何事にもポジティブシンキングなんですよね。
だから彼の中では、弊害はあっても「愛って素晴らしい」
という思いはあるのかもしれません。
でも、この映画が純粋に「愛の素晴らしさ」を描いたものかは
疑問の残るところです。

本来、純粋な「愛」というものは無垢なもので、
見返りや打算は含まれないはずです。
しかし、デイヴィッドは旅を続ける内に、そんな見返りや打算、
自分の愛情が適わないことへの恐怖から、憎しみ、
果てはライバルの排除(殺人)という、より人間的な愛の感情に
翻弄され、精神的に変貌して行きます。

そして、マン・ハッタンで自分が何者か今更ながら気付いた時に
これ以上どうにもならない状況だと絶望し、
人間的な解決である「死」を望むに至る訳です。

こんなストーリーのどこに、御伽噺的な「愛の素晴らしさ」
があるのでしょう?
そこにあるのはもっと打算や見返り、愛憎まで含んだ広い意味での
人間の「愛」の姿だと思います。

この映画がもっと能天気な「愛の賛歌」に終始したものだったら
「とんだ駄作。やっぱり、どこまでも行ってもスピルバーグはガキ」
って感想を抱いて終わりだったでしょう。


> 動物にだって芸術を理解する心はありますし、それは
> 人間特有の能力ではないと思います。
> サルと人間の違いなんて遺伝子的にも知能的にも9割9分差は
> ないといいます。サル以下の人間なんていっぱいいますしね。
> ロボットに愛が芽生えることが「素晴らしい」と思えるのは、
> あくまで人間が「最も崇高」であるとか、生物としての「頂点」に
> いるというキリスト教的な考え方が前提になってはじめて思え得る
> ことで、僕は人間がそれほど他の動物より素晴らしいなどとは
> 思いませんし、考えようによってはネコだって生物界の頂点にいる
> わけですから、「ロボットに愛が理解できないわけがない」と
> いう前提で映画を見ると、別にインスパイアされるような所は
> なくなってしまうんです。

> 動物にだって芸術を理解する心はありますし、
というのが、何を指しているのかは意味不明ですが、
百歩譲って、動物が芸術を理解出来たとしても
動物が芸術を創造出来るはずがありません。

> サルと人間の違いなんて遺伝子的にも知能的にも9割9分差は
> ないといいます。サル以下の人間なんていっぱいいますしね。

人類の親戚である類人猿の言語技能、言語認識の研究は
すでにある程度の成果を上げていますよね。

フランシーヌ・パターソン博士の英語を理解し、
手話や絵つきのキーボードで会話ができるゴリラのココや、
ザイール共和国のピグミー・チンパンジーで人類に最も近い種と
考えられている「ボノボ」のカンジなどの研究は、
世界的に有名です。
彼らは熟語を駆使できますし、単語で新しい言葉を作ったりできます。
また、彼らは「ユーモア」や「死」や「恐怖」を理解し、
記憶を持っていることも分かっています。
「ボノボ」成体の知能指数は人間の幼児とほぼ同等なのでしょう。

でも、彼らの研究で云えるのは、
彼らは赤ん坊か、それに近い時期から人間に育てられ
言語教育を受けている特殊な猿だということです。
彼らは「人間にさせられた猿」なのです。

逆に、これまた有名なケースですが、インドで狼に育てられた
ふたりの少女が数年後に保護された事件があります。
この内、幼い方の少女はいくつかの単語を理解出来るまでに
急速に言語理解機能が回復しましたが、
その後すぐに亡くなってしまいました。
年長の少女の方は、30くらいの単語は理解したものの、
熟語までは理解出来ず、手を使って食事も出来ないし、
最後まで遂に言葉も喋れなかったそうです。

人間の言語能力は遺伝によるものではなく、
生まれた頃から言語的刺激のある環境にいなければ
発達しないのです。
そして、言語がなければ遺伝的には人間であっても
知的発達は起こらないのです。



> SF的な視点で見た場合でも、「人間の精神構造を完全に再現した
> ロボットの実現が終着点」みたいなかんじでしたが、じゃあ僕は
> 果たして「ネコの精神構造を完全に再現したロボット」を作ることが
> 人間のそれよりもはるかに簡単であるといえるのだろうか、と疑問を
> もってしまいますし、道端でチョコマカ動いているあの素晴らしい
> ナノテクの結晶体である「アリ」を人工的に作り出すことと
> 「愛を」持ったロボットを作るのがどちらが簡単か、といわれたら
> 自身を持って答えることはできません。
>
> てな疑問をもうちょっと考えさせてくれる作品であればもっと
> 素晴らしかったのに、と思いました。

確かにそうですね。

でも、我々は人間の尺度でしか物事を測ることができません。
人間の精神構造を持つロボット(またはA.I.のみ)は作れても、
猫やアリの精神構造を持つロボットは絶対に作れないでしょう。
それに本物ソックリのアリを作っても需要は無いでしょうから
経済効果もほとんどないでしょうしね。(笑)

まあ、それなりに動物と似た動作をするだけのロボットなら、
ソニーの「アイボ」のようなものを発展させれば
比較的簡単に作れるでしょうけど。




「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その四)
思いっきりネタバレしています。ご注意を


leeさんの書き込みで思ったのですが 岩窟王@管理人

人間の精神構造を持つ「ロボット」を作ることが、
技術的に可能な世界になったとしても、
倫理的、道徳的な問題もありますし、コスト的な問題もあり
そんなモノが誕生するとはあまり考えられないですよね。

だいたい、「人工知能」や「ロボット」という概念自体が時代遅れで、
人間が科学技術で「人間ソックリのモノ」を作るとしたら、
遺伝子工学などのバイオテクノロジーを発展させた方が
余程簡単でしょうし、安上がりでしょう。

例えば、未来世界で癌になった臓器を代えるとしたら、
その本人の組織から癌になる遺伝子要素を除去した
健康な臓器を培養して手術した方が
人造臓器などを作るよりも遥かに現実的で低コストでしょう?

この方法なら、肉体的にも精神的にも本物と同じ構造を持つ
人間や猫やアリも創り出せますしね。
「シックス・デイ」で描かれる死んだペットをDNAで再生する
リ・ペットなんかは、絶対に将来実現しそうな気がします。
まあ、現在の状況ではクローンを作ろうとしても
ほとんど上手く行かない上に、どうにか生まれても
すぐに死んでしまうらしいですが...。


もし、精巧な人型ロボットが作られるとしたら、
「A.I.」の中に出てきたようなセックス用のロボットや
スーパートイの類だけになるでしょうね。
さすがに人工的に人間的な意識を持つ「性の奴隷」を作るのは
どの国も許さないでしょうから、その場合は
意識の無い精巧なロボットってことになるんじゃないですか。
今でも精巧なダッチワイフって、あるじゃないですか。
あれの進化形ってカンジでね。

でも、そんな時代になっても
アジアや南米の貧しい国に行けば、いくらでも本物の娘が
格安な値段で相手をしてくれるんでしょうが....。
ロボットなんか作る金があるなら、まずは
そんな本物の人間を救うことの方が、余程、
意味も愛もある行為と言えるでしょうね....。



> leeさんの投稿から抜粋

<岩窟王様>
> だいたい、「人工知能」や「ロボット」という概念自体が
> 時代遅れで、
> 人間が科学技術で「人間ソックリのモノ」を作るとしたら、
> 遺伝子工学などのバイオテクノロジーを発展させた方が
> 余程簡単でしょうし、安上がりでしょう。

それなんですよ。一番強く思ったのは。
「技術的に可能か」と「普及し得るか」は全く別問題ですしね。
僕は最初見たとき、「なぜ今時こんな無機物100%みたいな
ロボットばかりを出すんだろう」と疑問に思いました。
「ターミネーター」や「エイリアン」に出てくるようなロボットでも
バイオテクジーを駆使したのが作られていて、ターミネーターでは
キズが直るとか、エイリアンでは汗をかくとか、ロボコップでは
食事もできるのに、「A.I.」のロボット観は、あまりといえば
スタイルが古典的ですよね。
ただ、「ジュラシック・パーク」を作ったスピルバーグがこんな
古臭い考えをもっているとも思えないので、僕はここらへん、
意図的にこうしているのではないかと思ってなりません。

だって、生体構造まで人間ソックリだったらそれはもう人間と
違いはないわけで、だったらあの映画の意味はどこにあるのか?
ってことになりがちなわけで、あくまで「100%生きていない」
部品で作られたものにある種の宗教的な意味での「魂」が宿る、
てとこにこの映画の意味を持たせようとしたのか?と想像します。

> 「スピルバーグ自身は手塚治虫の作品を見たことがない」
いや、別に僕はスピルバーグが手塚作品からアイデアをいただいた、
という意味でいっているのではなく、手塚作品に似ているなあと
思っただけです。深い意味はありません。

> 人類の「愛」には本能的なものも含まれますが、
> 僕が指しているのは芸術や文化、果ては戦争までも生み出す
> 根源としての「高度な概念」を含んだ上での話です。

あくまで高い低いという程度はありますが、本質的なものに差は
ないと思います。戦争だって人間特有のものではないですし(イヌや
サルはナワバリ争いで殺しあうこともあるし、ライオンは同じネコ
族のチーターを殺します。人間の戦争理由も同じです)、
知能の高い動物なら芸術(音楽とか)を理解することもできます。
創造できるのは人間の特権と思われがちですが、それは人間が器用な
「手」と「言葉」を持っている故に可能であって、精神構造上の問題
よりもむしろ肉体構造上の問題が大きいのです。
この肉体構造のおかげで知能が発達したわけですし。
これは下にあるボノボのカンジくんやイルカやシャチの研究でも
明らかで、人間の言語能力が生まれた後の環境で発達するのであれば、
その他の脳の能力についてもある程度同じことがいえるのです。
従って、「本質的にそれほどの差はない」というのです。
もちろん、人間の能力の方がずっと成長力があって高度であるのは
いうまでもありませんけどね。

> こんなストーリーのどこに、御伽噺的な「愛の素晴らしさ」
> があるのでしょう?
> そこにあるのはもっと打算や見返り、愛憎まで含んだ広い意味での
> 人間の「愛」の姿だと思います。

なるほどー。
話の流れがなまじ御伽噺的な分だけ、その辺まで理解できま
せんでした。
確かに、そうなるとあの映画のテーマはより深くなりますね。
だとすると、あの映画では尚更簡単に「母親に会えてよかったね」
で泣く、ではすまされない映画ということになるんでしょうかね。

> でも、我々は人間の尺度でしか物事を測ることができません。
> 人間の精神構造を持つロボット(またはA.I.のみ)は作れても、
> 猫やアリの精神構造を持つロボットは絶対に作れないでしょう。

いや、それは心理学的なアプローチをした場合にいえることで
あって、脳みその中身を数字に置き換えるというような作業を
した場合(大脳生理学っていうんですか?よくわかりませんが)
にはプログラムが単純であるか複雑であるかの差しかないはずです。
科学者が試みるアプローチとは後者の手段だと思いますので、
これが絶対に作れないとはいいきれないはずです。



そしてバレは続く。なんだか堂々巡りの様相? 岩窟王@管理人

>leeさん

> 僕は最初見たとき、「なぜ今時こんな無機物100%みたいな
> ロボットばかりを出すんだろう」と疑問に思いました。
> 「A.I.」のロボット観は、あまりといえば
> スタイルが古典的ですよね。
> ただ、「ジュラシック・パーク」を作ったスピルバーグがこんな
> 古臭い考えをもっているとも思えないので、僕はここらへん、
> 意図的にこうしているのではないかと思ってなりません。

そうですね。
自分で書いていてなんですが、まあ、クローン人間の悲哀
なら「ブレードランナー」になってしまいますし、(笑)
本家のピノキオだって、所詮は木彫りの人形ですからね。(爆)
なんで木彫りの人形が喋ったり、動いたりするんだ?!
なんて誰も思わない訳で、そう云う意味でこの「A.I.」も
寓話に過ぎないということなんでしょうね。


> あくまで高い低いという程度はありますが、本質的なものに差は
> ないと思います。戦争だって人間特有のものではないですし(イヌや
> サルはナワバリ争いで殺しあうこともあるし、ライオンは同じネコ
> 族のチーターを殺します。人間の戦争理由も同じです)、
> 知能の高い動物なら芸術(音楽とか)を理解することもできます。
> 創造できるのは人間の特権と思われがちですが、それは人間が器用な
> 「手」と「言葉」を持っている故に可能であって、精神構造上の問題
> よりもむしろ肉体構造上の問題が大きいのです。
> この肉体構造のおかげで知能が発達したわけですし。
> これは下にあるボノボのカンジくんやイルカやシャチの研究でも
> 明らかで、人間の言語能力が生まれた後の環境で発達するのであれば、
> その他の脳の能力についてもある程度同じことがいえるのです。
> 従って、「本質的にそれほどの差はない」というのです。
> もちろん、人間の能力の方がずっと成長力があって高度であるのは
> いうまでもありませんけどね。

このアタリの捕らえ方は、leeさんの見解と僕のものとは
重なる部分とちょっと違う部分の両面あると思うんですが、
まあ、色々な見方があって良い訳ですから、それでいいのでしょう。

でも、人類が全生物の頂点に君臨している、とかいないとか、
そんなレベルの話は置いておくとして、
他の動物にはなくて人類だけが持っている資質というのは
絶対ある訳ですよね。

人間の大脳は主に本能的な制御や情緒を司る原始的な脳で、
この部分は過去に枝分かれした類人猿と大差ありません。
人類の脳の進化はまだまだ始まったばかりの過渡期ですから、
人間はこの原始的な脳に今尚、大きな影響を受けています。
しかし、理性を司る前頭葉の顕著な発達は
人間だけに見られる特色で、この部分があるから
「人間性」が生まれる訳でして、他の哺乳類に比べて
この部分のアドバンテージというのは非常に大きいと思います。




> 確かに、そうなるとあの映画のテーマはより深くなりますね。
> だとすると、あの映画では尚更簡単に「母親に会えてよかったね」
> で泣く、ではすまされない映画ということになるんでしょうかね。

やはり、あのラストはちょっと中途半端というか、
スピルバーグ作品の特性が色濃く出過ぎてしまっている感じがします。
ちょっと、甘っちょろいというか、要するに奇麗に終わりすぎ
なんですね。
母親の「ずっとあなたを愛していたわ」なんて台詞は余計ですよ。

僕はあのあくる日の朝、
デイヴィッドがどう過ごしたのか知りたいです。
お母さんが死んでいるとしたら、デイヴィッドの傍らで
その骸が腐り、悪臭を放つところまで延々と見せて欲しかった。
そんな状態でもデイヴィッドが母親の傍から離れず、
泣きながら母の髪をやさしく撫でていたら、
僕は号泣していたと思います。

まあ、その前に「アレ」がかたずけてしまうでしょうが。(笑)



> >でも、我々は人間の尺度でしか物事を測ることができません。
> >人間の精神構造を持つロボット(またはA.I.のみ)は作れても、
> >猫やアリの精神構造を持つロボットは絶対に作れないでしょう。
>
> いや、それは心理学的なアプローチをした場合にいえることで
> あって、脳みその中身を数字に置き換えるというような作業を
> した場合(大脳生理学っていうんですか?よくわかりませんが)
> にはプログラムが単純であるか複雑であるかの差しかないはずです。
> 科学者が試みるアプローチとは後者の手段だと思いますので、
> これが絶対に作れないとはいいきれないはずです。

ですから、その数値なりなんなりが、人間の尺度ではないですか?
また、その分析の結果が正しいと、どうやって確かめるんでしょうか?


> leeさんの投稿から抜粋

<岩窟王様>
> ですから、その数値なりなんなりが、人間の尺度ではないですか?
> また、その分析の結果が正しいと、どうやって確かめるんでしょうか?

えーとえーと、それはそうなんですが、例を挙げるとですね、
人間の骨はカルシウムでできています。
これは人間の尺度で考えたことですが、一応真実です。人間的に。
さて、ネコの脳も人間の脳もそれを構成する物質でできているわけで、
電気信号が流れてあちこちのスイッチを入れたり切ったりして
動いているわけです。
これはシステムとしてはコンピューターのCPUと同じです。
どこのスイッチをいじればどう動くか、それを解析することで
精神構造は明らかになります。
ロボトミー手術はその一例ですね。
科学が発達すればますますその解析能力も発達するわけで、
脳みそ=精神構造を数値化することが可能になるわけです。
これは人間の尺度で行うわけですが、いってみればネコの脳が
電卓の演算装置ならば、人間はペンティアム4というわけで、
複雑さが違うだけで同じ材料でできているわけですから、
尺度とか分析結果が正しい正しくないとかそういう問題では
ないわけです。

大脳新皮質(本能以外の部分)はネコにもあるけど、人間のほうが
より発達しているというだけの話です。
人間だけの資質、というのは単にネコの方が未熟すぎて見えてこない
だけで、その要素自体は持っているのです。
だって、人間だってネズミから進化してきたわけですから、人間の
が分かってネズミのが分からないなんてことはありえません。
少しずつさかのぼるだけの話ですから。

最初に戻ると、「分析結果が正しいとどうやって確かめるのか?」
は「ネコの骨がカルシウムでできているとどうやって確かめるのか?」
というのと同じことです。
なんだかうまく説明できなくてすいません。

> 僕はあのあくる日の朝、
> デイヴィッドがどう過ごしたのか知りたいです。
> お母さんが死んでいるとしたら、デイヴィッドの傍らで
> その骸が腐り、悪臭を放つところまで延々と見せて欲しかった。
> そんな状態でもデイヴィッドが母親の傍から離れず、
> 泣きながら母の髪をやさしく撫でていたら、
> 僕は号泣していたと思います。

たしかに想像するだけで胸がつまりそうなシーンですね。
僕もそれ知りたいです。
岩窟王さん提示のこのエンディングならば、この映画の評価は
かなり変わっていたことでしょう。
綺麗すぎるといえば、「アレ」の「生命がもつ宇宙時間というのは
決まっている」理論もなんだか綺麗な理論で、しかもどうして
一日だけ延長できるのかがよく分からなかったです。
「一度失われたものはどんなことをしても戻らない。絶対に!」
とキッパリいわれた方が胸にズーンと来るんですが。


凡人の戯言 岩窟王@管理人

> <岩窟王様>
> >ですから、その数値なりなんなりが、人間の尺度ではないですか?
> >また、その分析の結果が正しいと、どうやって確かめるんでしょうか?
>
> えーとえーと、それはそうなんですが、例を挙げるとですね、
> 人間の骨はカルシウムでできています。
> これは人間の尺度で考えたことですが、一応真実です。人間的に。
> さて、ネコの脳も人間の脳もそれを構成する物質でできているわけで、
> 電気信号が流れてあちこちのスイッチを入れたり切ったりして
> 動いているわけです。
> これはシステムとしてはコンピューターのCPUと同じです。
> どこのスイッチをいじればどう動くか、それを解析することで
> 精神構造は明らかになります。
> ロボトミー手術はその一例ですね。

うわ~、なんかいきなり短絡的なお話になってきましたね。(笑)
そりゃ、そう物事を単純化したら、どんなこじつけでも可能ですよ。

精神構造がどういう脳内物質で成り立っているか解析して
ある方式で数値化し人工的に再現すれば、人だろうが猫だろうが、
本物と同じ精神構造を持つロボットが作れる、って訳でしょう?
でも、骨の主成分がカルシュウムだから、とか、
ロボトミー手術の話ってのは、また全然別の話ではないですか?

だいたい、精神構造を脳を構成している物質で解析とか、
その解析結果を数値化する、なんて発想は、
時代錯誤の科学万能主義でして、一種の錬金術みたいなもんです。
そんなのは絵に書いた餅だと思うんですけどね。


> 科学が発達すればますますその解析能力も発達するわけで、
> 脳みそ=精神構造を数値化することが可能になるわけです。
> これは人間の尺度で行うわけですが、いってみればネコの脳が
> 電卓の演算装置ならば、人間はペンティアム4というわけで、
> 複雑さが違うだけで同じ材料でできているわけですから、
> 尺度とか分析結果が正しい正しくないとかそういう問題では
> ないわけです。

確かに、あと何百年、何千年もすれば、
人間の複雑な身体的構造と精神構造の関係を
科学で詳らかに解明することが
あるいは可能かもしれません。
また、その分析結果を元に、精神を数値化し、
人間に近いロボットを作ることも可能になるかもしれません。

でも、そうなっても「何かが違う」と思える部分は
必ず残ってしまうと思うんですが、如何でしょう?
人間の英知が、宇宙や生命の謎を解明したつもりになっても
そんなのは、あるレベルでは正解でも
あるレベルでは大いなる錯覚に過ぎず、
どこかに必ずほころびや誤りが出来くるもんだと思います。
それが人間が持つ尺度の限界ではないでしょうか。

まあ、ひとりの人間の寿命は限られていても
人類の英知は(何かで失われない限り)脈々と受け継がれてゆく
という部分で、人類は他の生物にはない利点を持っているわけですが、
完璧なんてもんには、なかなか到達できないと思いますよぉ~。
だって、科学の歴史なんて、何かを解明したと思うと、
今度は、その結果からそれまで以上の新たな謎が出現する
ということの繰り返しなんですからね。

ですから、人間が例えばアリや猫の精神構造を持つロボットを
完成させたとしても、それが本当に正しい(完璧な再現)か、
猫でもアリでもない僕等に、どうやって判断できるのでしょうか?
方程式が正しいから結果も正しい、という事は単純な問題なら
正解かもしれませんが、生物や精神はもっと多様で複雑な要素を
始めから内包しているものでしょう。

同じ人間、いや、自分の精神だって完璧な分析なんか出来ない人類が
クローン技術のように、元からある神の業を応用するのではなく、
あくまでも人工的なマテリアルと理論で人間の精神を再現するなんてのは、
やはり、僕には御伽噺にしか思えません。
まして、アリや猫をロボットにするなんて、夢のまた夢なのでは?
と思ってしまいます。
まあ、別に僕自身はたいした知識もない凡人ですから、
あくまでも「そんな感じがする」ってだけの話なのですが....。

なんだか、どんどん「A.I.」と関係無い話になっていってますね。
すみません。(笑)



「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その五)
思いっきりネタバレしています。ご注意を


> leeさんの投稿から抜粋



> うわ~、なんかいきなり短絡的なお話になってきましたね。(笑)
> そりゃ、そう物事を単純化したら、どんなこじつけでも可能ですよ。
> だいたい、精神構造を脳を構成している物質で解析とか、
> その解析結果を数値化する、なんて発想は、
> 時代錯誤の科学万能主義でして、一種の錬金術みたいなもんです。
> そんなのは絵に書いた餅だと思うんですけどね。

そろそろAIから話が遠ざかってきたので僕の凡人の戯言もこの
へんでネタ切れです。
いや、短絡化でもこじつけでもないですよ。
NHKスペシャルでも何度かやってましたけど、将来的に人間の
精神構造を解析するということは、別に錬金術といえるほど
途方もないことではないというだけのようです。
今はまだできないというだけで、すでに「将来的には可能」という
見通しはついているのです。実際できるかどうかは分かりませんが。
科学が万能であるという考え方は時代錯誤ですが、科学で解明不可能
なこともある、という考え方も同様です。
だって科学は進歩するのですから。
もちろん、人類が存続する限り、あらゆる謎が解明されるなんて
おもいませんけど、人間や動物の脳を解析することなど、
富士山の5合目にもいかないことだと思います。
もっともっととてつもない謎が宇宙には存在すると僕は思うんです。

古代においてはは不可能である、いや、可能不可能以前に
そういう発想が全くなかったという事柄が現代において現実と
なっていることは山ほどあり、それは未来においても同様に
いえることでしょう。
人類が存続する限り、どんなに解明しても謎は残り続けるでしょう。
ただ、たかが人間の頭の中身を分析することが、宇宙の真理を
解明することに比べたらいかにちっぽけなことか、ということです。

人間の脳をコンピューターに例えましたけど、あれも今では
別に普通の考え方ですよ。
人間が人工的に人間を作り出すことが「神ならぬもののおごり」
であるとか「神の摂理に反する」とかいわれることもありますけど、
おごっているとかおごっていないとかいう以前の問題だと思います。
ひとつの謎が解明されればまた次の謎を解く人間が「おごっている」
といわれるだけのことで。
僕は神秘主義者でも科学主義者でもなく、あくまで一般論として
いっているつもり、というかNHKスペシャルとかの受け売りなんで
あまり詳しいところまではわからないので、この辺にしておきます。


まだ説明不足なので lee


最後に付け加えますと、
我々人類だって普段から無意識のうちに自分や他人の精神構造を
科学的に分析しているわけです。
例えば、「今この人はこう考えているな」という瞬間、自分は
相手の行動パターンや性格、過去の出来事や自身の経験、その時の
場所や状況などからその推論を導き出しているわけです。
これは当たることもあれば外れることもありますが、少なくとも
「超能力」や「第6感」などという、それこそいいかげんなもの
で分析しているわけではありません。
本人が無意識だから「カン」とかいいますけど、「カン」は極めて
科学的なアプローチです。
同様に、自分の飼っているペットにしてもそうです。
心が通じ合うというのは、その者をよく理解するということで、
その方法が高度になれば理解もより深まるというわけです。

さて、現在すでに人間と動物の脳内の記憶や感情を司る部分がどこ
なのかは分かってきています。
さらに、人間が「怒ったとき」「笑った時」、脳内でどのような
化学変化がおきているかも分かってきています。
こうした分析がたとえわずかずつでも進んでいけば、いつかはその
全貌が明らかになります。そこで、

> 生物や精神はもっと多様で複雑な要素を
> 始めから内包しているものでしょう

というのは正にその通りだと思います。
「もっと多用で複雑」これは科学にもいえることではありませんか?
科学が「もっと複雑で多用」になるはずがないなんて、どうして
いえるでしょう。
科学といっても、その中にはありとあらゆる方法が詰まっています。
まして、動物の首から下も上も同じように物質で構成されている
というのに、下はわかって上は絶対にわからないなんて、
いいきれないはずです。
もしそういいきれるとすれば、それは人間の精神が「物質以外の
何物か」によって構成されているというわけです。
その考え自体は理解できます。精神は、脳の中身だけで測られる
ようなものではないということを。
だとしても、その「何物か」が到底解明されることは
あり得ないなんて、どうしていいきれるでしょう?
科学は物事を「1+1=2」で表すやり方と思われがちですが、
そこに到達するまでの道のりは想像以上に遥かに複雑です。
万能だとか神秘だとか、そんな単純な言葉でくくられるような
ものではないと僕は思います。

また、もう一度進化の歴史についていいますけど、人間の脳の中身が
あきらかになれば、人間に近い生き物の中身もおのずと明らかに
なっていきます。そうなると、さらにそれに近い・・・となります。
いずれはネコだって分かります。
だって、ネコを飼っている人ならネコの考えはある程度分かるもの
でしょう?専門的な分析など必要としなくても。
人間とネコは違う生き物だから、ネコの考えがわかるはずはない、
なんてことはないはずです。
そもそも全ての生き物はさかのぼれば一つなんですから。
サルが人間になった瞬間、全く違う生き物になったわけでは
ありません。まして神の姿に似せて作られたわけでも。
「人工物」は精神を持ちえず、「有機物」だけが精神を持ちえる
というのも狭い考え方だと思います。

アイザック・アシモフぐらいの一昔前だと、「ロボットが人間の
能力を超えることはない」とか「酸素のないところで生きていける
生物はいない」とかが、大御所科学者があたり前のように叫んで
いましたが、わずか数十年でそんな考えがいかに古臭いものかが
わかっています。」人類の歴史の長さからして、その数十年が
いかに「一瞬」であるかがわかるでしょう。

水も酸素もないところで生まれる生き物もいます。
鉱物のような生き物だっているんです。それは、我々から見れば
「ロボット」同然です。
まして広い宇宙、どんな生き物がいるか想像もつきません。
数え切れないくらい多くの星の中のたった一つの高等生物の
精神構造などいかに小さいことでしょう。
そもそも、「宇宙」がこの世の最も大きな存在であるとどうして
いえるでしょう?

人間がちっぽけな存在だからこそ、人間には人間自身がわからない
なんてどうしていえるでしょう。
だってもともと科学は人知を超えています。
少なくとも僕レベルの人間にはわからないことなど山ほどあります。
他人の考えだって分かりません。
同様に、隕石がなぜ飛んでくるのかも分かりません。
でも古代においてすでに「地球は丸い」と考えた人間だっています。
彼にしても、なぜ丸いかまでは分からなかったはずです。
なぜならば科学は初めから常に人知を超えているからです。
人間はそれを少しずつ読解していくだけに過ぎません。
それならば、いつかは人間の精神構造も分かる日が来ると
思いませんか?科学って、そういうものではないでしょうか。
すこしずつ発展していくものではなくて、すこしずつ理解して
いくものであると。

ブタの肝臓を人間に移植することが最近可能になっています。
それほどブタと人間は近いんです。
精神だけが全くかけ離れているということはないと思います。

A・Iの話に戻りますと、最後に出てきた「アレ」、
あれは人工物のようでもあり、生物のようでもある、という風に
見えませんでしたか?
あの姿には大きな意味があると僕は思うんです。

ダラダラと続けてしまってすみませんね。



堂々巡りも佳境 岩窟王@管理人


もう始めに何について語っていたのかも
よく分からなくなって来ました。(笑)

leeさんのご意見は納得させられる部分も多々ある訳でして
ですから、「重なる部分とそうでない部分がある」と
以前も書いた訳です。


> NHKスペシャルでも何度かやってましたけど、将来的に人間の
> 精神構造を解析するということは、別に錬金術といえるほど
> 途方もないことではないというだけのようです。
> 今はまだできないというだけで、すでに「将来的には可能」という
> 見通しはついているのです。実際できるかどうかは分かりませんが。


確かにそうかもしれません。
例えば、人類はすでに人間を含めたいろいろな生物のDNAの
解析をしています。
人ゲノムの解析は、確か去年末、すべて終了したと思いました。

分子生物学者達が、すべての生物の遺伝的基礎が
核酸に組み込まれた遺伝子コードであるDNAによるものだと
発見したのは、つい4、50年前の話です。
この分野の研究はまさに金を生む木ですので、
企業、団体からの援助も豊富で急速に進みました。
そして、今では、
すべての生物を構成する有機分子はほんの数十種類の組み合わせに
すぎないという事実が分かっています。
(もちろん、その組み合わせは結果として
 驚くほどの複雑さと多様性を生むのですが)

分子生物学と免疫学は、その遺伝子コードの
組み合わせのひとつひとつにどんな働きがあるのか、
解読に取り組んで来ました。
そして現在では、ある個人のDNAの羅列を調べることで、
将来身体のどこに癌が発生しやすいかを予測することまで出来ます。
なんとも目覚しい科学の成果です。

この輝かしい成果をもとに考えれば、確かに
人間の脳の分析も意外と簡単に進むのかもしれません。
脳の主な活動(記憶、感情)がすべて電気回路であるニュートロン
の作用に過ぎないのであれば、これを人工的に再現して感情のある
ロボットを作ることも、一見不可能ではないように思えます。


でもその一方で、
例えば、ニュートン物理学は300年も前に発見され、
現在でも彼の力学である「運動の法則」と「重力の逆二乗則」は
ロケットの打ち上げや、衛星を意図した個所に静止させる計算、
惑星運動の計算の基礎になるなど、様々な分野で広く活用されています。
しかし、それはある特殊な状況では正しくないことを
アインシュタインは予測しました。
ご存知の通り、「特殊相対性理論」と「一般相対性理論」でです。
そして今ではその「一般相対性理論」の粗探しが行われています。
実際、量子のレベルになると、この「一般相対性理論」でも
うまく説明がつかない現象が起こっているそうです。


そりゃ、僕だって神秘主義より人間の英知の結晶である
科学の力を信じてたいし、実際、かなり信じてもいます。
何事も「時間の問題」と言われればその通りなのでしょう。
でも、問題はその「時間」ですよね。

僕は人類がこの先、何万年も繁栄してゆくとは
とても想像できないのです。
原始的な脳に支配されがちな人類の特性を考えると、
よほど急激な進化でも起きなければそれはちょっと
無理なんじゃないかとさへ思えます。
まあ、今のスピードからすると、そう言いながらも
結構、近い未来に感情のあるロボットを作ることなんて
そんなに困難ではないような気もしますが....。


なんだか支離滅裂になってきました。
馬鹿の堂々巡りはこの辺りで終わりにします。(笑)


「A.I.」のラストに登場した「アレ」の話です。

> A・Iの話に戻りますと、最後に出てきた「アレ」、
> あれは人工物のようでもあり、生物のようでもある、という風に
> 見えませんでしたか?
> あの姿には大きな意味があると僕は思うんです。

僕はやすさんへのレスで「アレ」のことを

> まあ、要するにあの氷河期を迎えて、
> 人類が絶滅した後の地球にいる「新地球人」達は、
> 人類が創造した人工知能が高度に自己進化したモノ
> ということなのでしょう。
> 彼らにしてみれば、デイヴィッドは直立猿人ってとこ
> なんでしょうね。(中略)
> でも、そうなってもちゃんと神(人間)の姿を写した個々の身体
> を持っているアタリが、いかにも西洋的で興味深かったです。

と書きましたが、
よく考えたら、彼らが姿の無い情報ネットワークだけの存在ではなく
ちゃんと個々の身体を持っていたというのは、
人間を模したロボットが進化したものだとしたら必然ですね。
個体が内包する多様性が生物の進化の源の訳ですから、
彼らが精神的にひとつのパーソナリティーになってしまっては
もはや、その種は絶滅するしかないですからね。


それと、なぜ人と同じ感情を持った少年型のロボットが
作られたか? という疑問についてですが、
そんなものが作れるとしたら、人類は、
有機体の人造人間やクローン人間などは
とっくに作れるだけの科学力を持っているはずです。

それで僕は「2468」で、
> だいたい、「人工知能」や「ロボット」という概念自体が時代遅れで、
> 人間が科学技術で「人間ソックリのモノ」を作るとしたら、
> 遺伝子工学などのバイオテクノロジーを発展させた方が
> 余程簡単でしょうし、安上がりでしょう。
という意見を書いたのですが、これは我ながら的外れでした。
僕は、あの世界の環境を忘れていたんです。

「永遠に特定の人間を愛するようにプログラムされたロボット」
というコンセプトは、あの開発者である博士のエゴ以外の
何者でもないと思いますから置いておくとして、
ではなぜ、有機体ではなくわざわざ感情のあるロボットなのか?
という件に関しては、再見して気付きました。


あの「A.I.」が語られる世界は、地球温暖化により、
両極の氷が溶けて、多くの都市と人命が海に呑まれたのちの世界
という設定でした。
世界の大都市はみんな海や河のそばにありますから
生き残った人類はかなり少ないと思われます。
もちろん、食物もエネルギー資源も限られてしまいますから、
あの未来のアメリカでは現在の中国のように、
国が人口をコントロールしていて、
多くの家庭では子供はひとりまでに制限されているようです。
そこで、政府は乏しい労働力を補う為にロボットを生産し始め、
あの時代では、人間の周りには人間に奉仕するロボットが
溢れている、という訳です。

まあ、ようするにクローン人間や有機的な人造人間では
倫理的道徳的問題もあるし、資源を消費する存在としては
生身の人間と変らない訳で、作る意味が無いんですね。
また、ロボットなら一度買えば、一生働かせても賃金は発生せず、
その上、体内電池の心配さへしてあげれば、
食費もかからないし、文句も言わず勤勉に働くのですから、
逆に長い目で見ると経済的だということになります。

で、そうして大量に作られたロボット達ですが、
世界が落ち着きを取り戻し、また徐々に人間が増え始めた頃になると、
有能なロボット達に職を奪われ、不満を持つ階層が誕生しました。
あのフェアに集まっている民衆がそうですね。
このロボットに対する差別感情は、冒頭のアフリカ系の女性の博士が、
「ロボットが反感を買う時代にこんなロボットを」うんぬん
という台詞にも表れていましたね。




2889 返信 「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その六) 思いっきりネタバレしています。ご注意を 岩窟王@管理人 2001/12/10 10:35
z211-19-107-185.dialup.wakwak.ne.jp

> いーさんの投稿から抜粋

やっと「A.I.」 ネタバレバレバレ! いーさん

ようやく観ました。今回程、BBSの件名に感謝したのは初めて。
岩窟王様や皆様の「A.I.」論を、「映画を観るまでは・・」と
読むのも諦めていましたが、それも件名に書いてあったからこそ!
本当に、助かりました。
そしてようやく私も観ました。やっと書き込みも拝見できました。でも
岩窟王様もlee様も見識が深くて凄い。私は。。トホホ・・(涙)


注意!!:以下、ネタバレ・ネタバレ・ネタバレ・ネタバレ・・・



私は面白く観る事ができました。完全にはノレませんでしたが。。。

まず、オスメント君は、あの年齢にしてはやはり素晴らしい演技だと
思いました。普通の11歳ではあそこまで演技はできないだろ~
全体の持つ雰囲気はキューブリック?スピルバーグ?
巷の感覚では、どっちの意見が多いのでしょうか?

この映画のテーマが「愛」と岩窟王様が書かれていらっしゃる文を
拝見しました。そしてleeさんのおっしゃる「火の鳥」  確かに。。
私もジュード・ロウや、その他のロボットとの係わり合いを、もう少し
観たかったです。あの車やヘリ、冒頭の病院の様子等は面白かった。
グッと来たのは、森に捨てられそうになってすがるシーン。
そしてラストの悲しい一日。号泣はしませんでした。

ロボットは「ターミネーター」等と比べ旧式に観えましたが、
ここはキューブリックの味なのかなぁ~等と勝手に解釈。
個人的には、あの2000年後の世界ですが。。。私は「スタートレック」
(すみません、好きなもので^^;)のような世界の方がリアルな
感じがするし、「ターミネーター」「エイリアン」「ブレラン」に
登場するアンドロイドの方(外見的に)が有り得る気さえします。

因みに「スタートレック」にもデータというアンドロイドが登場。
彼は感情を理解できない為、「感情チップ」を使って人間感情を体験。
その感情チップの働きで、日々、次第に感情の進化を遂げていきます。
彼は人間との感情の交流を望み、努力を続けますが、
同時に感情がある故に、人間だけでなく同じアンドロイドとの交流も
切に願うのでした。


以下、内容的に困惑した部分です。どなたか助けて。。
(悩み1)
ディビットにキーワードをインプットしたら、もう元に戻れない。
あらゆる覚悟でインプットした筈なのに。。。衝動だったのか?
彼女は「愛する」より「愛して欲しかった」ように私には見えました。
そしてディビットもキーワードをインプットされたら、相手の人間を
「愛する」ように設定されてる筈なのに。。。彼は自ら愛し続けながら
も、ひたすら「愛して欲しかった」ように私には見えました。

機械であるディビットに人間を「愛する」事を要求する事は、
わかりました。でも、機械であるディビットは「愛される事を望む」
ように創られていたのでしょうか?あれは進化したという事?
ロビンの「アンドリュー」のように?
それともこの映画の中では、「愛する」=「愛されたい」という事?

(悩み2)
ディビットがこだわった願い事
「Please make me a real boy」(だっけ?)
2000もの間その願いを持ち続けていたのなら、その願いの成就こそが
母親からの愛情をもらえるキーだと信じていたという理由から?

あの「ブレードランナー」でも、アンドロイドは生身の人間への憧れが
常にあり、自らが機械であるという事実に悲しみと苦しみを持っていた
と私は思っているのですが(違ってたらごめんなさい)
この映画でディビットの願いは母の愛?それとも人間への憧れ?両方?


> leeさんの投稿から抜粋

<いーさん様>

各作品におけるロボットのリアリティを考えると、

「A.I.」のロボットがあんましリアルでなかったのはたぶん
わざとだと思うんですが、映画の中でジャンクショーの場面が
ありましたよね。「バトルランナー」みたいな。
あそこで檻に入れられていたロボの中に建設作業員ロボがいました。
あれ見て思ったんですが、工事現場で作業するロボが人間の姿を
していなければならない理由なんて全くないんですよね。
子守りロボや家政婦ロボならともかくとして。
作業服着てヘルメットまで被っていたあのロボの意味を考えると、
やはり意図的にリアリティをなくしているように感じます。
そうでないとするならばあれはちょっと・・・ですが。

その点、「ターミネーター」の場合は人間の中に紛れ込まなければ
ならないという理由がちゃんとあるのですが、それにしても
シュワちゃんの姿をしたターミネーターばかりだとすぐバレたり
するんじゃ、と「2」観た時思いました。
もっとも、あの場合、シュワちゃんが出ないと映画が当たらない
という別の理由も存在するわけです。

「ブレードランナー」の場合、あれは人造人間であって機械人間で
ないのですが、人間に憧れるというよりは、人造であるという以外
もはや人間と変わるところは何もない彼らが、人間以下の扱いを
受けている(奴隷労働とか)こととか、極めて寿命が短く作られて
いるという所が悩みの種なわけです。
でも、使用目的が決まっているにもかかわらず、人間とほとんど
同じに作ってしまえば、当然生存権や人権を主張して反乱を起こす
のは目に見えているわけです。
そこに「悲劇」を見出すのも、よく考えると無理な話ではあります。
唯一リアルなのは、人間の記憶を植え付けられて自分を人間だと
思い込んでいるレイチェルでしょう。
アレは趣味で作られたレプリカントなので、ありえます。
寿命という点で思ったのですが、「A.I.」のハーレイロボは
ほとんど不老不死なわけですので、あのままあの家庭にいて
家族の死を見取りながら2000年、とかいう話もみて
みたかったと思いました。

そんなわけで、結局どの映画のロボが一番「有り得るか」
といえば、僕は「ロボコップ3」のオートモが一番リアル
だと思います(大ウソ



以下、「A.I.」のネタバレあります 岩窟王@管理人

>いーさん

> (悩み1)
> ディビットにキーワードをインプットしたら、もう元に戻れない。
> あらゆる覚悟でインプットした筈なのに。。。衝動だったのか?
> 彼女は「愛する」より「愛して欲しかった」ように私には見えました。
> そしてディビットもキーワードをインプットされたら、相手の人間を
> 「愛する」ように設定されてる筈なのに。。。彼は自ら愛し続けながら
> も、ひたすら「愛して欲しかった」ように私には見えました。

そもそも「永遠にインプットした人間を愛するロボット」
というコンセプト自体がナンセンスで、
持ち主の自由な制御や初期化が出来ない機械など、
存在としての意味が無いと思います。

まあ、それは置いておくとして、
母親はディビットを愛すとかなんとかではなく、
子供の代用品としての子供型ロボット、ディビットを
躊躇は感じつつも自分の心を癒す道具として使う誘惑に
勝てなかったのだと思います。
確かにインプットの結果に対する多少の責任は感じていたでしょうが、
感情のないロボットしか知らない彼女にとっては
経験のない体験でもあり、その行為がもたらす結果を
あの時点で予想することは難しかったのではないでしょうか。

ディビットの心の変遷については、その通りだと思います。


> 機械であるディビットに人間を「愛する」事を要求する事は、
> わかりました。でも、機械であるディビットは「愛される事を望む」
> ように創られていたのでしょうか?あれは進化したという事?
> ロビンの「アンドリュー」のように?
> それともこの映画の中では、「愛する」=「愛されたい」という事?

アンドリューはディビットと違い、現実的な選択として
感情が芽生えるにしたがって機械である身体を
完全に人間化することに血道をあげる訳ですが、
人を愛した時に愛されたいと願うのは、別におかしいとは
思いません。
感情があれば、人間的な願望、欲求が起こるのは自然だと
思いますので、別に僕自身はディビットの感情が
「愛する」=「愛されたい」になっていったことに
何の疑問もありません。

ただ、人間は誰かを愛しても愛されなければ、
一時的に傷心しても忘れるなり、他の人を愛するなり、
逃げ道がありますが、ディビットの場合はそれが許されませんので
そこに彼の愛の悲劇性があると思いました。


> (悩み2)
> ディビットがこだわった願い事
> 「Please make me a real boy」(だっけ?)
> 2000もの間その願いを持ち続けていたのなら、その願いの成就こそが
> 母親からの愛情をもらえるキーだと信じていたという理由から?
> この映画でディビットの願いは母の愛?それとも人間への憧れ?両方?

ディビットは、母親が自分を捨てた主な理由が
自分がロボットであることだと思い込んでいるんでしょう。
母親が解体される運命のディビットを忍びなくて捨てた
ということを彼が理解しているとは思えませんでしたし。

で、母親が読んだ「ピノキオ」を自分に重ねて、
青い妖精を見つけて本物の少年にしてもらえれば、
さんざんイタズラをしたピノキオが最後は人間になって
父親であるジョゼッペに愛されたように、
「ハッピー・エヴァ・アフター」になると信じていたんだと
思います。


PS.
下で「> この分野の研究はまさに金を生む木ですので、」
と書いていますが、金(の卵)を生むのは鶏ですね。(大汗)
この場合は「金がなる木」が正解でした。
すんまそん。





「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(その七)
思いっきりネタバレしています。ご注意を


> いーさんの投稿から抜粋


>岩窟王様、lee様
早速のご丁寧なお返事ありがとうございました。
以下、くどくてすみません。<AIネタバレありです>



>建設作業員ロボ
>あれ見て思ったんですが、工事現場で作業するロボが人間の姿を
>していなければならない理由なんて全くないんですよね。
>子守りロボや家政婦ロボならともかくとして。
>作業服着てヘルメットまで被っていたあのロボの意味を考えると、
>やはり意図的にリアリティをなくしているように感じます。

アレ、私も違和感を感じました。
特にあのロボは壊れていた?せいか、顔の所が画面のようになっていて
とてもアンバランス。しかも「痛み感知スイッチ」を切る事を望んで
いた様子(違ってたらごめんなさい)
あんなに旧式(というか)いかにもな形のロボットにもかかわらず、
感覚だけは人間のように出来てるなんて。。
あまりにリアルすぎるロボットよりも、わざと機械っぽい様子を
クローズアップしたかったのでしょうか?

ちょっとズレますが、あのジャンクショーでのロボット達の様子を
観て「トイストーリー」でオモチャ達が捨てられる事を悲しんだり、
恐れたりする点を、なんとなく連想しました。


>「ブレードランナー」の場合、あれは人造人間であって機械人間

すみません。今更なにを。。。と言われそうで、とっても恥ずかしい
のですが、人造人間と機械人間の違いがよくわかりません。(恥)
どうか哀れと思って教えて下さいませ。
でもleeさんのご説明はとてもよくわかります。(感謝!)

>唯一リアルなのは、人間の記憶を植え付けられて自分を人間だと
>思い込んでいるレイチェルでしょう。

すみません。私ったら。。裏読みすぎだったのかも。。
いや、何かの本で読んだような気さえしてしまってました。
デッカードも、もしかしてレプリカントなのかと思ってました。
あのユニコーンの夢がその事を象徴しているのかと。。
アレー、ずっとそう思い込んでしまってました。(恥~)
(この話題、「ブレラン」ネタバレになるかも、すみません)


>寿命という点で思ったのですが、「A.I.」のハーレイロボは
>ほとんど不老不死なわけですので、あのままあの家庭にいて
>家族の死を見取りながら2000年、とかいう話もみて
>みたかったと思いました。

私もです。
ロボットたるディビットは、成長もするように創られているのかな?
それとも、外見はあのままなのかな?と、最初に気になりました。
親は子供の成長を楽しみにもするだろうから、ディビットがあのまま
外見的に成長するように作られていない場合、あのプロジェクト事態
完璧とは言えないような気もしたからです。

・・だとしたら、どんな覚悟でインプットしようと、親である人間が
成長しないディビットに飽きて捨てる時が来る事は、目に見えてると
思いました。一定の年齢のままの子供の代用品をあの製作者の博士も
本当に願うのでしょうか?それじゃあ「シックスデイ」でシュワちゃん
が買ったお人形と同じような。。。(失言)

>そんなわけで、結局どの映画のロボが一番「有り得るか」
>といえば、僕は「ロボコップ3」のオートモが一番リアル
>だと思います(大ウソ

私だったら・・「スターウォーズ」のR2D2が1番リアル。。かな(笑)


>持ち主の自由な制御や初期化が出来ない機械など、
>存在としての意味が無いと思います。

冒頭で、女性のロボットの口の中のスイッチ?をイジッテいたように
思うのですが、アレはディビットはできなかったのでしょうか。。?
機種が違うからできなかったとしても、機械は機械だし故障の可能性も
あるのだから、「停止スイッチ」くらいあっても。。

等とつっこみ出したらキリがない部分はあったようにも思いました。

でも岩窟王様のご説明も、とてもよくわかりました。
本当にありがとうございました。

>「愛する」=「愛されたい」になっていったことに
>何の疑問もありません。

私もそうなのですが。。でも、それって、ご都合主義の人間にとっては
やっかいな展開として予測もつきそうな事だと思ってしまったのです。
人間ならその感情の移り変わりは、大きく納得するけれど。。
やっぱり機械なんだから。。
この部分と、「人間になりたい」「母に愛されたい」と
映画のポイントが分散してしまってるように観える時があるように
感じてしまう、私のような屁理屈野郎には、この映画の主題は
素直に入らないのかも。。
だから、いつまでもこのようにアーダコーダと、重箱の隅をつついて
しまうのかもしれません。ごめんなさぁ~い。(^^;

ただ、個人的にはこの映画、なんとなく惹かれました。
私の場合、テーマよりも映像的な魅力だったのかもしれません。
ジュード・ロウのように、「首をカクっと振ったら音楽が鳴る」なんて
仕掛けをもっといろいろと見て見たかった。
あの女の人、なんで死んでいたのでしょう?(これも謎)


よく聞くSFの「Sense Of Wonder」とは何なのでしょう?
わかってない私なのでした。やっぱり人それぞれ違うのかな。。。


> leeさんの投稿から抜粋

ロボジョックス lee

<いーさん様>(バレあり)

> 建設作業員ロボ
は、顔が画面のヤツ、の後ろにいたヤツで、見た目は完全な人間の
ヤツですが作業員の格好をしていました。少しだけ映るんです。

> ブレイドランナーのレプリカント
は、体の作りが人間とほぼ同様で機械部品など使っていないのです。
「作られた」という事実を除けば人間となんら変わることはない
ところがまた普通のロボと違う悲劇なわけです。
だから、「A.I.」のロボのように、「痛いフリをする」のではなく
本当に「痛がる」し、涙も出せれば食事もできます。
終盤、ルトガー・ハウアーの寿命が終わりかけてきた時に彼が
自分の手をザクッと突き刺すシーンがありましたが、あれは
体の皮膚感覚がなくなってきたために痛みを呼び戻す行為です。
デッカードを追い詰めながらも殺さなかった所は、彼の人間らしさ
のあらわれといえるでしょう。

> デッカード
もレプリカントであったというのは事実のようですが、
僕は別に「だからどうなの?」という感じで夢のシーンとかで
象徴されてもそれは本筋にあまり関係ないと思うので、蛇足の
ような気がします。
むしろデッカードが人間であったほうがレイチェルとの逃避行も
意味があると思うのですが。
レプリカント同士の脱走になってしまうと、最初と変わりませんし。

> ロボットたるディビットは、成長もするように創られているのかな?

そこは僕も気になったところです。
もしあのままあの家にいたら、生意気なガキとか母親父親はみんな
年をとっていくので、いったいどうなるんだろう?と。
そこが知りたかったのですが、捨てられてから後はあの家族は
全く出てこなくなるのでそこが消化不良になりました。
一度くらい家に戻ってあの家庭をのぞいてみてほしかったです。
商品化されているくらいなので、成長しないんでしょうね。

商品化といえば気になったのが、あの商品、ハーレイロボともう
ひとり女の子ロボの2種類しかいなかったこと。
なんらかの理由で子供ロボを欲しがる家庭は、当然その外見や性格
に対する要望も様々なはずなのに。
「赤ちゃんよ永遠に」というSF映画では、やっぱり子供を欲しがる
夫婦が代理子供としてロボットを買うのですが、それらはすべて
オーダーメイドでした。
成長はしないので、年月に合わせてロボを買い換えていくのです。



岩窟王@管理人

>いーさん

> 人造人間と機械人間の違い

僕もそれほどSFに詳しい訳ではないので、なんですが、
機械的な構造の人造人間(ロボット、アンドロイド)と
有機的な構造の人造人間(DNA操作などで作られた人間)
の違いです。
要するに、どちらにせよ、人工的に造られた人のような者
だということです。


> デッカードも、もしかしてレプリカントなのかと思ってました。
> あのユニコーンの夢がその事を象徴しているのかと。。
> アレー、ずっとそう思い込んでしまってました。(恥~)

この話題はもう何度かこのBBSでも書いたと思いますが、
リドリー・スコット監督はそう解釈していたらしいんですが、
ハリソン・フォードらが強行に反対して、オリジナルでは
「ユニコーンの夢」の場面はありませんし、あの作品から
デッカードもレプリカントだと想像出来る人は少ないと思います。

で、その後、ディレクターズ・カット版の製作の際に、
覆面試写会の観客アンケートに「物語の展開が分かりずらい」
という意見が多かったことで、監督の意志とは反して急遽加えられた
デッカードのハードボイルド小説まがいのナレーションを
全面カットし、ついでに監督の当初の解釈を復活させる意味で
「ユニコーンの夢」のシークエンスが挿入されました。
また、キューブリックの「シャイニング」のオープニング用に
撮影されていたフィルムを流用した、むりやりのハッピー・エンド
のエンド・クレジット・シークエンスもカットされました。

因みに、あのユニコーンの映像は、
トム・クルーズが主演して大コケした指輪物語風の作品、
「レジェンド  光と闇の伝説」(Legend 、1985年製作) で
撮影されたものを流用しています。


僕自身は「ブレードランナー」ではディレクターズ・カット版が
一番好きですが、leeさんもおっしゃっているように、
監督の解釈には多少無理があるように思います。
それから、厳密に言うと、レプリカントは
以下のような構造を持つ人造人間だとブレランの脚本家、
ハンプトン・ファンチャーとデビッド・ピープルズによって
定義されているそうです。


アンドロイド (an'droid)
名詞、ギリシャ語:人間型自動機械。ロボット以上のもの。
1. 初期の型は人間には退屈、危険、あるいは不愉快な仕事に
利用された。

2. 第2世代はバイオ工学による電子的リレー装置や陽電子頭脳を
持つ。過酷な環境下の宇宙探査などに用いられた。

3. 第3世代は遺伝子合成技術による。
レプリカント:培養された皮膚/肉体から構成される。
選別されたエノジェニック転移変換による。自律的に思考する能力を
持つ。超人的な体力を持つ。惑星移民問題の解決のために開発された。
(エノジェニックは脚本家による造語)

ブレランに登場するのは最新型のネクサス6型のレプリカント達で
彼らは人間と区別がつきにくい上、超人的な資質を持つので
人間に対する叛乱などがないように安全装置として
遺伝子操作で4年の寿命しか与えられていません。
これに対して、初めて感情を持つレプリカントとして試作されたのが
レイチェルで、彼女には記憶が埋め込まれています。
彼女はネクサス6型より、より人間に近いアンドロイドということに
なりますね。
「A.I.」のディビッドにそっくりな設定になります。

その「A.I.」ですが、
原作ではディビッドは5歳の少年ということになっています。
永遠の5歳と永遠の12歳ではかなり意味が違います。
(内部は機械なんですから成長はしないはず)

5歳なんて可愛い盛りで、末の妹や、甥っ子、姪っ子なんか見ていても
食べちゃいたいくらいで(笑)、一生大きくならなければいいのに、
と周りの大人に思わせる年齢です。
12歳なんて、もはや思春期も始まっている生意気盛りでしょう。


>leeさん

> 商品化といえば気になったのが、あの商品、ハーレイロボともう
> ひとり女の子ロボの2種類しかいなかったこと。
> なんらかの理由で子供ロボを欲しがる家庭は、当然その外見や性格
> に対する要望も様々なはずなのに。

僕はあれはあくまでもプロトタイプなんじゃないかと思いました。
まだ発売はしていないようでしたし、試作機のモニターとして
あの夫婦が選ばれた訳ですからね。
要するにハーレイロボ(爆)は基本形で、
商品が届く時は、顧客が希望した顔になっているのでしょう。
ロボットの顔を換えるくらい簡単なはずですからね。


> Hロユキさんの投稿から抜粋

憂鬱な希望の旅路の果てに Hロユキ


遅ればせながら[A,I、」見てきました。

以下ネタバレあり 注意


はっきりいって全然感動できませんでした。
冒頭でデビットを意図的に不気味なカンジに描いているので感情移入できず
イジメ、迫害、自殺(死ねない)、モルモット(最後の母親との
邂逅シーンは自分にはこう見えてしまいました。)おまけに人類絶滅
底意地の悪いスピルバーグわざとやってるなって思ってしまいました。

ieeさんのいわれるようやっぱりあの博士はおかしいですね
死んだ息子に似せて作ったものを量産したり
デビット居場所をしりながらほっぽっておいたり何考えているのか
わかりません。
博士の部屋でハーレイロボじゃなかったデビットロボ×1ダース
くらいを発見するところはチャッキー人形を思い出してしまいました。

2000年後にでてきたアレですが究極に進化した機械生命体って
自分もおもいましたが、愛を継承するものがいれば
それは人類でなくてもかまわない(むしろ人類でないほうがいい)
っていうシニカルなメッセージなんですかね
隣にいた女の子は友達に「あれってエイリアン?」って聞いてました。
唯一の見所は海に沈んだマンハッタンと廃墟のコニーアイランド
って結局ビジュアルだけかい(笑)

ただ見終わって自分の4歳になる息子が死んで代わりにそっくりの
ロボットをくれるといったらものすごく悩むでしょうね。
ですから独身者のみなさんは子供ができてからみると
また違った見方ができるかもしれません。



2891 返信 「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り(最終回) 思いっきりネタバレしています。ご注意を 岩窟王@管理人 2001/12/10 10:37
z211-19-107-185.dialup.wakwak.ne.jp
映画宣伝 「A.I.」のめくらまし 岩窟王@管理人

今月号の「CUT」で渋谷陽一氏が書いた
「なぜ日本にはまともな『A.I.』評が存在しないのか?」
という寄稿文を読んだ。

彼曰く「あれは愚かな人類は絶滅してしまって、
進化した『A.I.』しか生き延びることはできませんでした、
という話である。そんな絶望的な映画のどこが
「愛」と「ヒューマン」なのだ。(中略)
『A.I.』は闇と絶望の映画である。」
(氏は『A.I.』を非常に優れた作品と評価している)


確かにその通りだと思った。

徹底した秘密主義で製作されたこの作品を配給元のワーナーは
「スピルバーグ的な感動ヒューマンドラマ」だと大々的に宣伝した。
そして、それは僕も含めた観客に否応も無く
同じアルファベット2文字の題名であった『E.T.』での感動を
思い起こさせた。
そして、『A.I.』は「泣ける映画」だという固定概念が
我々の頭に刷り込まれてしまう結果となったのである。

こうして、この映画を語る上での主題は、
「感動したか、感動しなかったか」になってしまった。
言い換えれば、「泣けるか、泣けないか」である。
しかし、改めて思い返してみれば、『A.I.』は観客に
その手の「感動」や安っぽい「人間賛歌」を提供する類の作品では
明らかになかった。
これで僕を含めた多くの観客に混乱が起こったのだ。


「A.I.」の主題をめくらましにさせた映画宣伝の罪は、
非常に大きい。


> leeさんの投稿から抜粋

なるほど lee

僕はそもそも最後のアレは進化したA.I.と考えていいものやら
自体未だに迷うんですが、というのもアレこそがある意味進化
した人類だ、という解釈もできるんじゃないか、って思うからです。
生物学的につながりはないにしても。
アレが単なるロボットでは話がつまらないなあ。

それにしても「愚かな人類が絶滅して」ってあたりはどうも
評としては納得しかねますね。「愚かな」という部分が特に。

あの作品では、人類が絶滅した理由は明らかにされていないし、
「だから滅んだんだ」って暗示するような場面も人間描写も
特になかったような気がします。
愚かな人間ども、って発想ならば最後のハーレイロボの再会シーンも
あまり活きてこないし、僕は人類が自らの手で自分たちを一人残らず
完全に滅亡させることは不可能だと考えるからです。
地軸の逆転や天変地異など他の理由がない限り、戦争ぐらいしか
理由は想像できないわけで、だとするならばかならず生き残る人間
はいるはずです。例えどんなすごい兵器を用いようとも。
完全に自らを滅ぼしきれるほど人類は「利口」でも「愚か」でも
ないと僕は思うからです。
あの作品において人類が愚かでなければならない理由も
ないですし、なによりそうであればあの作品はますますSF映画
としては古典的で安易すぎることになってしまいます。

それと、あのラストを見る限り、配給元の宣伝とスピルバーグの
思惑がズレていたにせよ、あのラストではやはりスピルバーグは
観客を感動させようとしたように感じました。
少なくとも最後には絶望的な場面になっていたにせよ、絶望を提示
した映画とは思えません。キューブリックならいざしらず。
闇と絶望が主題であったとすれば、その主題をもってきたこと
自体が今度は疑問です。

主題をめくらましにされたというより、結局主題がなんであるか
よくわからない、考えようによってはどうとでもとれるって所に
あの映画の難しさがあったように思います。

僕は勝手につけられた邦題や見当違いなキャッチコピーの作品を
みて常々思うんですが、どんな宣伝文句があるにせよ、それで
惑わされてしまうというのはやはり作品自体に原因があると
思うんです。
メッセージをわかりやすく(これはバカでもわかるとかそういう
意味ではなくて、どんな人間にも感覚として理解できるという意味)
伝えることのできる力を持った映画というのはやはり偉大だと
思うし、観る人がそれぞれ自分で納得のいく解釈のできる映画
というのもまたアリだと思います。

「A.I.」の場合、どう解釈してもなんか釈然としない部分が
残る、ってところが混乱の最大の原因ではないでしょうか。

結局、スピルバーグがどう思っているかが分かればハッキリする
問題なんですけど。


> tomoさんの投稿から抜粋

A.Iについて tomo


この度、初めて書き込みをさせていただきますtomoと申します。
岩窟王さんが書かれていた「CUT」の記事ですが自分も本屋にて
立ち読みいたしました。自分としてはこの作品については渋谷氏
の記事にもうなずけるところはあったのですが、この記事の前の
頁にあった外国人の記事にあった、作品として二人の監督の正反
対の個性が出て分裂しているという方に近いものを感じました。
キューブリック原案の絶望感や孤独感の強いプロットにスピルバー
グが必死になって光をあてようとして空回りしているという感じで。
かと意って、スピルバーグがキューブリックのプロットにひたすら
忠実に作っても目も当てられない凡作になったと思うのでこの辺は
難しいところですね。しかしながら、この作品は映像としてはいつ
ものスピルバーグに比べて荘厳で美しいものに仕上がっているので
自分としては一概に嫌いとはいえない作品です。

宣伝についてですが、自分が普段キャッチをあまり気にしない人な
ので泣ける作品云々というのは気にならなかったです。ただ、宣伝
の中にキューブリックの遺作であるというのがあまり無かったのが
偉大な故人に対してちと失礼ではないかと感じました。


> Hロユキさんの投稿から抜粋

わたしは貝になりたかったデビットロボ Hロユキ


>管理人さま
>tomoさん はじめまして
>leeさん
自分も雑誌[CUT」の渋谷氏の記事は読みました(立ち読み)
内容はともかく今どき雑誌媒体のみで批評云々というのがおかしいですね。
ここにこうしてすばらしい批評が展開しているのを教えてあげたいくらいです(笑)

A,Iを感動作として売り込んだのは、
今までスピルバーグが非常に解りやすい映画やイベントムービーを
作ってきた経緯があるわけで
日本の配給会社にしてみれば、たくさん人が見る=金が儲かる
という図式にのっとれば、キューブリックの名前をだすより
スピルバーグの愛の感動作として売り込むのは当然の結果だとおもいます。
ただし宣伝担当の人や映画をみた若い人(我々のような映画ファンではな
く年に数本しか見ない普通の観客)は{えー何これ」
って思ってる人多いんじゃないですか。

どんなにツマラナイ映画でも莫大な宣伝(広告としだけでなく戦略も
含め)をかければヒットしてしまうもんだと自分は思うし
またその逆もたくさんあるわけで
アメリカでの不評を聞くとパールハーバーもそうですが
日米の観客の観察眼の違いが見事に露呈されてしまったカンジです。

ラストのアレは蛇足だとは思いませんが、キューブリックは
ラストをどうするか悩んで結局作れなかったってのでは?



水と油 キューブリックとスピルバーグ 岩窟王@管理人

もうここでひとつの記事にまとめようにも
収拾がつかない位、「A.I.」の話題はさんざんやりましたが、
僕は渋谷氏の記事を読んでなんだかすっきり整理がついたんです。
「A.I.」はいかにもキューブリックらしい主題の作品なんだなぁと。
(「CUT」の記事はかなりの量ですし、あまり引用するのも
 まずいので、本屋ででも立ち読みして下さいませ)

キューブリックは元祖引きこもり(笑)と言って良いほどの
人間嫌いで、シニカルなネガティブ・シンキングの人。
スピルバーグはその正反対の性格で、映画のコマシャーリズムを
最大限に利用して来た監督です。
その彼が、もう既にかなりのディテールが完成していた
キューブリックの企画を引き継いだんですから、
一見破綻気味なのは仕方の無いところかもしれません。

僕の感想は何ページか前から過去ログとして残っているので
繰り返しませんが、とりあえずお返事を。


>leeさん

> 僕はそもそも最後のアレは進化したA.I.と考えていいものやら
> 自体未だに迷うんですが、というのもアレこそがある意味進化
> した人類だ、という解釈もできるんじゃないか、って思うからです。
> 生物学的につながりはないにしても。
> アレが単なるロボットでは話がつまらないなあ。

もちろん、あれは新人類なんですよ。
人間が創った「A.I.」が自己進化して、創造主の御心を探っている
という設定なんですから。
以前も書きましたが、人間の感情(人類の遺産)を有している何者かが
この宇宙に残りさへすれば、人類自体が絶滅したって、
別に大きな問題ではないと、僕は思います。

> それにしても「愚かな人類が絶滅して」ってあたりはどうも
> 評としては納得しかねますね。「愚かな」という部分が特に。

そうですか? 僕は激しく同意しましたけど。
デイビッドを作った博士やそのスタッフ、
彼を捨てたお母さんや廃棄しようとした父親、
デイビッドをいじめる子供たち、
ロボットの破壊で人間の尊厳を訴えようとする輩、
あの作品に出てくる人間は、皆度し難い愚か者ばかりです。

それに人類は既に絶滅の淵にいることは明らかですよ。
地球温暖化や生態系を含む環境破壊などの環境問題、
増え続ける人口、消費される一方の資源、
一向に無くならない対立に紛争、世界的な不況.....。
この先、何千、何万年も人類がこのまま御気楽に繁栄していけるとは
とても思えません。

例えば、僕等の快適な生活は、一方で
先進国に搾取されている貧しい国の犠牲で
成り立っている面があります。
アメリカや日本並に生活水準を向上させたいと、
インドや中国やアフリカの発展途上国が頑張るのを
誰も止める権利などありませんが、それがもし実現したら
地球の資源は確実に枯渇するでしょうし、
地球温暖化も急激に加速します。
そうなる過程では多くの生態系にも深刻な影響が出るでしょう。

実際、気候変動枠組条約、締約国会議だけを見たって、
世界で一番、二酸化炭素排出量の多いアメリカの反対で
「地球温暖化防止条約・京都議定書」なんかは死文化一歩手前です。
実際、先進国が中心になって提言している地球温暖化対策など、
発展途上国や旧共産圏の国々にとっては、
「経済的に豊かな国がさんざん甘い汁を吸った後に何言ってやがる」
という気分でしょう。


これは宮崎駿監督も常々言っていることですが、
「地球にやさしい」なんてのは人類の思い上がりで、
人類が絶滅しようが、地球は残るんですよ。
むしろ、地球や人類以外の生態系にとって癌なのは
人類そのものなんですから、我々が絶滅するのが、
地球にとって一番やさしいじゃないですか。


> あの作品では、人類が絶滅した理由は明らかにされていないし、
> 「だから滅んだんだ」って暗示するような場面も人間描写も
> 特になかったような気がします。
> 完全に自らを滅ぼしきれるほど人類は「利口」でも「愚か」でも
> ないと僕は思うからです。

僕もそう信じたいですね。これでも人類の一員ですから。


> それと、あのラストを見る限り、配給元の宣伝とスピルバーグの
> 思惑がズレていたにせよ、あのラストではやはりスピルバーグは
> 観客を感動させようとしたように感じました。
> 少なくとも最後には絶望的な場面になっていたにせよ、絶望を提示
> した映画とは思えません。キューブリックならいざしらず。
> 闇と絶望が主題であったとすれば、その主題をもってきたこと
> 自体が今度は疑問です。
>
> 主題をめくらましにされたというより、結局主題がなんであるか
> よくわからない、考えようによってはどうとでもとれるって所に
> あの映画の難しさがあったように思います。
>
> 僕は勝手につけられた邦題や見当違いなキャッチコピーの作品を
> みて常々思うんですが、どんな宣伝文句があるにせよ、それで
> 惑わされてしまうというのはやはり作品自体に原因があると
> 思うんです。
> メッセージをわかりやすく(これはバカでもわかるとかそういう
> 意味ではなくて、どんな人間にも感覚として理解できるという意味)
> 伝えることのできる力を持った映画というのはやはり偉大だと
> 思うし、観る人がそれぞれ自分で納得のいく解釈のできる映画
> というのもまたアリだと思います。
>
> 「A.I.」の場合、どう解釈してもなんか釈然としない部分が
> 残る、ってところが混乱の最大の原因ではないでしょうか。
>
> 結局、スピルバーグがどう思っているかが分かればハッキリする
> 問題なんですけど。

なるほど。その通りかもしれません。
僕もスピルバーグの本音のロング・インタビューを聞きたいです。

少なくとも僕はあの映画を見て、
クライマックスに多少の不満は残るもの、
スピルバーグの映像作家としての成熟と完成度の高さを感じました。
そのどこまでがキューブリックによるものなのか、
僕も興味があります。


>tomoさん

こちらこそ、はじめまして。

> 岩窟王さんが書かれていた「CUT」の記事ですが自分も本屋にて
> 立ち読みいたしました。自分としてはこの作品については渋谷氏
> の記事にもうなずけるところはあったのですが、この記事の前の
> 頁にあった外国人の記事にあった、作品として二人の監督の正反
> 対の個性が出て分裂しているという方に近いものを感じました。
> キューブリック原案の絶望感や孤独感の強いプロットにスピルバー
> グが必死になって光をあてようとして空回りしているという感じで。
> かといって、スピルバーグがキューブリックのプロットにひたすら
> 忠実に作っても目も当てられない凡作になったと思うのでこの辺は
> 難しいところですね。しかしながら、この作品は映像としてはいつ
> ものスピルバーグに比べて荘厳で美しいものに仕上がっているので
> 自分としては一概に嫌いとはいえない作品です。

僕もその点は感じています。
スピルバーグが脚本を執筆する時点で、
キューブリック側の資料は遺族によって
すべてスピルバーグ側に渡っていたらしいですが、
あのクライマックスに関してはどうなのか興味があります。
どうも、「アレ」が登場して以降、
スピルバーグ色が前面に出過ぎていた気がしてなりません。
突然、上っ面ばかり奇麗になってしまいましたからね。




「A.I.」を巡る長~~~い遣り取り 2001/12/10 10:46

今夏、「A.I.」を巡る遣り取りがされたことを
記憶されている常連さんもいらっしゃるでしょうが、
あまりにも長文過ぎて、まとめるのを躊躇っておりました。

しかし、あまり一般の評価は芳しく無かったこの話題作で
かなり盛り上がれたのも事実でありますので、
改めて抜粋・編集することに致しました。
基本的に記事の修正・改竄は行っておりませんので
誤字脱字や、論点の迷走ぶりもそのままになっております。(大汗)
お恥かしい限りではありますが、まあ、流れですので
寛容のお心でお許し下さいませ。

転載させて頂いた常連さん、
例の如く無断転載で申し訳ありません。
関連記事
スポンサーサイト
[ 2007/02/22 11:58 ] 王国伝言板ログ | TB(0) | CM(0)
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。