Frank Sinatra と The Godfather Cinema Kingdom Blog

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映画、国内&海外ソフト、ホームシアター機器、旅行、写真、アニメ「あの花」を肴に綴る徒然雑記

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Frank Sinatra と The Godfather

2007年2月 BBS閉鎖に伴い転載

■Frank Sinatra と The Godfather 2001/12/05 15:21

●フランク・シナトラ



本名:フランシス・アルバート・シナトラ
   FRANCIS ALBERT SINATRA

1915年12月12日生(射手座)
1998年5月14日没
ニュージャージー州ホボーケン出身。

少年の頃からビング・クロスビーに憧れ、歌手を志す。
1938年、地元ラジオ局の素人のど自慢番組への出演が切っ掛けで
「ホボーケン・フォー」なるグループで歌手デビュー。
その後すぐにハリー・ジェームズ楽団に引き抜かれ、
1939年に人気楽団トミー・ドーシー楽団の専属歌手に。
その後、1942年に楽団と結んでいた専属契約を買い取って独立し、
「スゥーナー」(気絶させる人)、「ザ・ヴォイス」の異名を持つ
人気アイドル歌手となる。

1940年代を通じてRKOやMGMのミュージカル映画
(「錨を上げて」、「私を野球に連れてって」など)に多数出演。
歌手としてのシナトラは人気実力共に40年代が絶頂期であった。

1950年に喉を痛めて、声が出なくなってからの数年間は、
数年前から囁かれてきたマフィアや共産主義者との交際疑惑に、
女優のエヴァ・ガードナーとの不倫スキャンダルが重なり、
コロムビアやMGMからの契約を次々にうち切られるなど、
絶大だった人気にも陰りが差し、不遇の時代を過ごす。

1953年に公開されアカデミー作品賞を受賞した
『地上より永久に』の兵士役で、アカデミー助演男優賞を獲得し
再びスターの座に返り咲く。

60年には取巻き芸人たち(シナトラ一家)が総出演した、
「Ocean's Eleven(オーシャンと11人の仲間)」が公開された。
出演:フランク・シナトラ / ディーン・マーティン
   サミー・デイビスJr. / ピーター・ローフォード
   アンジー・ディキンソン / リチャード・コンテ

余談だが、この映画のリメイクが、
『エリン・ブロコビッチ』、『トラフィック』のオスカー監督、
スティーブン・ソダーバーグの新作の「オーシャンズ11」である。
出演:ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、
ジュリア・ロバーツ、マット・デイモン、アンディ・ガルシア
(来年2月日本公開)


71年、ロサンゼルスでの慈善公演の舞台で突然引退表明し、
一時期歌手活動を停止したが、その2年後に復帰。

若い頃から稀代のプレイボーイで、
女性関係が華やかだったことはあまりにも有名。
浮名を流した女優・歌手の数は天文学的数字になる。

60年代以降、芸能界はもちろん、マフィアから政財界を含む
多彩な交友関係で、ショー・ビジネス界の帝王と呼ばれた。

Official Site of Frank Sinatra

■結婚歴■

1932年2月、幼なじみのナンシー・キャロル・ハーバトと結婚。
1951年10月離婚後、すぐにエヴァ・ガードナーと結婚。
6年後の1957年7月に離婚。
1966年7月、30才年下のミア・ファーローと結婚
1967年11月までのわずか16ヶ月間で離婚。
1976年7月、バーバラ・マルクス(前夫はゼッポ・マルクス)と結婚。
最初の妻との娘、ナンシー・シナトラは60年代に活躍した歌手。


●「フランク・シナトラ」主な出演作品●

芸人ホテル(1943)
錨を上げて(1945)
雲晴れるまで(1946)
下町天国(1947)
奇蹟の鐘(1948)
私を野球に連れてって(1949)
踊る大紐育(1948)
ダブル・ダイナマイト(1951)
地上より永遠に(1953)★アカデミー最優秀助演男優賞受賞
三人の狙撃者(1954)
ヤング・アット・ハート(1955)
見知らぬ人でなく(1955)
野郎どもと女たち(1955)
黄金の腕(1956)★アカデミー助演男優賞ノミネート
ラスヴェガスで逢いましょう(1956)
80日間世界一周(1956)
上流社会(1956)
誇りと情熱(1957)
抱擁(1957)
夜の豹(1957)
最後の接吻(1958)
走り来る人々(1959)
波も涙も暖かい(1959)
戦雲(1959)
カンカン(1960)
オーシャンと11人の仲間(1960)
四時の悪魔(1961)
荒野の3軍曹(1962)
ミサイル珍道中(1962)
影なき狙撃者(1963)
ナイスガイ・ニューヨーク(1963)
秘密殺人計画書(1963)
テキサスの4人(1963)
7人の愚連隊(1964)
勇者のみ(1965)
脱走特急(1965)
結婚専科(1965)
クイーン・メリー号襲撃(1966)
オスカー(1966)
巨大なる戦場(1966)
裸のランナー(1967)
トニー・ローム/殺しの追跡(1967)
刑事(1968)
セメントの女(1968)
大悪党ジンギス・マギー(1970)
ザッツ・エンタテインメント(1974)
第一の大罪(1980)
キャノンボール2(1983)


「勇者のみ」はシナトラが監督・主演した太平洋戦争もので
なんと東宝との日米合作映画。特撮は円谷英二である。

製作=東京映画=シナトラ・エンタープライズ 配給=東宝
1965.01.15(日本公開) 
8巻 2,728m 100分 カラー 東宝スコープ

製作 ................  奥田喜久丸/
           ハワード・W・カッツ/フランク・シナトラ
監督 ................  フランク・シナトラ
特技監督 ................  円谷英二
日本版監修 ................  清水俊二
協力監督 ................  井上和男
助監督 ................  デヴィド・サリバン/鶴島光重
脚本 ................  須崎勝弥/ジョン・ツウィスト
台詞指導 ................  トム・コンロイ/中村哲
原案 ................  奥田喜久丸
撮影監督 ................  ハロルド・リプスタン
音楽 ................  モーリス・ストロノーフ/広瀬健次郎/
             ジョニー・ウイリアムス
美術 ................  レロイ・ディーン/大下晴義
装飾 ................  ジョージ・J・ホプキンス/丸山弘
録音 ................  スタンリー・ジョーンズ
整音 ................  西尾昴
照明 ................  ビクター・ジョンソン
編集 ................  サム・オースチン
美粧 ................  ゴードン・バウ 植村秀
翻訳 ................  米良正夫
製作担当者 ................  チャック・ハンソン/内山甲子郎
スチール ................  中山章
特殊技術 ................  東宝特殊技術部
出演 ................  三橋達也/フランク・シナトラ/
             加藤武/クリント・ウォーカーほか



さて、やっと本題の「ゴッドファーザー」つながりですが、
あの3部作にはコルレオーネ・ファミリーが後見人になって
何かと面倒を見て来た「ジョニー・フォンテーン」という
大物歌手兼俳優が登場します。(演じるは歌手のアル・マルティーノ)

彼はマリオ・プーゾの原作の中では映画よりも
かなり詳しく描かれている人物なのですが、
(原作には、ジョニーの幼なじみの歌手兼俳優として
 ディーン・マーティンを思わせるキャラも登場する)
このジョニー・フォンテーンはシナトラがモデルだと言われています。


一作目の冒頭の結婚式でフォンテーンがお祝いの歌を披露している時に
マイケルがケイに、「ジョニーが歌手として独立したかった時に
楽団は専属契約を盾に人気のある彼を手放すのを渋った。
そこで父は、用心棒のルカを送った。...話はすぐに済んだ」
と話をします。
これはシナトラが、1942年にトミー・ドーシー楽団から独立した時の
話だという訳です。(真偽は不明ですが、そんな噂は当時からあった)

その後、ドンと会ったジョニー・フォンテーンが
「大ヒット間違い無しの映画があるんですが、
 そのプロデューサーが僕を嫌っていて、役をくれないんですよ。
 それに出られれば返り咲けるのに....」
と泣きつくシーンがあります。

これが、例の「ベッドに馬の生首」の場面に繋がる訳ですが、
この映画こそ、アカデミー作品賞を始め6部門でオスカーを獲得した、
「地上より永遠に」(1953)ではないかと思います。
これは当時、歌手として落ち目だったシナトラを救った作品です。

■「地上より永遠に」(1953)
1953年第26回アカデミー賞作品賞 
助演女優賞:ドナ・リード
助演男優賞:フランク・シナトラ
監督賞:フレッド・ジンネマン
脚色賞:ダニエル・タラダッシュ
撮影賞<白黒>:バーネット・ガフィ


マイケルがドンとなる後半では、
ラスベガスのモー・グリーンに預けていたフレドに会いに行った
マイケルが、すっかりスターに返り咲いたジョニー・フォンテーンに
「ファミリーが経営権を持つホテルでショーをする専属契約を
 結んで欲しい。君の取巻きの芸人にも声をかけてくれ。
 ファミリーからの恩を返してほしい。」
と頼むシーンがありました。
50年代中期と云えば、ちょうど、シナトラ一家が
ラスベガスのショーで人気を博し始めた時期と重なります。
パート2ではマイケルは60年代にカジノ事業に本格的に参入し
ネバダ州の名士となりますが、この頃、マフィアが牛耳っていた
ラスベガスのカジノホテルでの一番の呼び物は
シナトラ一家のショーになっていました。
(ポール・アンカが作曲した「マイ・ウェイ」が大ヒットしたのが69年)
*現在、法整備などにより、ラスベガスの事業から
マフィア等の組織犯罪の影響は一掃されている。
少なくとも表向きは...。


アル・マルティーノ演じるジョニー・フォンテーンは
パート3にもマイケルの家で行われたパーティーの場面で登場します。


まあ、どこまで事実に基づいているのかは定かではありませんが、
撮影途中、プーゾがモデルにしたファミリーから恐喝が入り、
パラマウント社はニューヨークマフィアのドンの一人であった
ジョセフ・コロンボを仲介に立て、
「マフィアに対する偏見的な映画製作は行わない」
と言う条件で解決したことは事実です。
また、完成時に、ニューヨークのマフィア幹部がパラマウント社に
押しかけ、ジョニー・フォンテーンの場面を削るように
クレームをつけた、というのも事実のようです。
(もちろん裏で削除依頼をしたのはシナトラ)


また、マリリン・モンローとJ・F・ケネディをくっ付けたのも
シナトラだと云われています。
大統領と弟のロバート・F・ケネディ司法長官は就任当時、
カリフォルニアに行くと度々シナトラ邸を訪れていたそうです。
シナトラ邸はハリウッドの酒池肉林の巣窟として有名でした。

これは、当時マフィアを始めとする組織犯罪の撲滅を公言していた
ケネディ兄弟の弱みを握る為に、シナトラを介して組織が仕掛けた
罠だったという穿った見方もあります。
マリリン・モンローの謎の死を考えると、なかなか意味深ですね。
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[ 2007/02/22 11:31 ] 王国伝言板ログ | TB(0) | CM(1)
はじめまして!
なまいと申します。

プレミアムビールに関連して。。
岩窟王さんの記事を、
http://thepremium.buzzlog.jp/にて紹介させて頂きました。
問題ありましたら、
ご連絡ください。

どうぞよろしく
お願いいたします!
どうぞよろしくお願いいたします。
[ 2008/06/05 03:02 ] [ 編集 ]
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